パリの場外馬券売り場に行ってきた話

  前回の凱旋門賞観戦記が途轍もなく好評だった。だが、まだ書いていないことが山ほどある。ホテルの真ん前で花売りのアラブ系の男とアフリカ系の男が怒鳴り合いながら殴り合い寸前の喧嘩していたこととか、燃え落ちたノートルダム大聖堂の改修工事現場が凄かったこととか、何らかの政治集会の現場を通り過ぎて日本のそれと何もかもノリが違うことに愕然としたこととか、警視庁襲撃事件直後のシテ島は警官が物凄い数いてやっぱり雰囲気が異様だったこととか、慢性化したパリ市内の交通渋滞が日本では考えられないレベルにあるためタクシーで地獄を見たこととか、白バイのサイレン音が『ボーン・アイデンティティ』で聞いたものと寸分違わず同じでメチャクチャに興奮したこととか——そんな話では今回なく、パリ市内の場外馬券売り場で馬券を打ったときの話をさせて欲しい。「凱旋門賞でタコ負けしてなお馬券を買ったの? 馬鹿では?」と言われれば「そうです……」としか答えられないのであるが、ともかくパリの場外馬券売り場の話である。

 日本のWINSと同じく(負けて帰る客が大多数である賭博施設の名が「WINS」とはいったいどういう了見だろうか? 舐めるのもいい加減にしろといつも思う)パリの街中にも場外馬券売り場が存在する。PMU(Pari Mutuel Urbain)というそうだ。場外馬券売り場とは、とりもなおさず競馬場の外にあってレースの馬券を購入可能な場所のことで、ゆえにパリ市内のPMUではパリジャンたちが高額配当の馬券を求めに日々ゾロゾロと集まり「勝った」だの「負けた」だのをやっているというわけだ。

 観光最終日、ポンピドゥー・センターへ寄ったときのことだった。マルセル・デュシャンの『泉』を見て「やっぱりただの小便器やんけ」とか「現代アートはオッパイと乳首が描かれがちであるな」とかしょうもないことを考えたぼくは国立近代美術館を後にし、「この店では英語は通じんからフランス語を喋りな」的な態度を頑なにとり続けるカフェのウェイターへ「感じ悪っ!」などと思ったりしつつ(何も注文せずにぼくは帰った。滞在中唯一遭遇した、ステレオタイプそのものといえる嫌味なパリジャンである)、ふと交差点のそばに怪しげな一角があることを発見したのである。施設の入口へ掲げられた看板には『PMU』と書いてある。

 PMU……おお、これが噂に聞いていたフランスの場外馬券売り場か……。ぼくはルーヴル美術館のクソ長い入場列へ並ぶ予定を即座に破棄し、急遽馬券を打つことにしたのであった。生のモナリザを拝む機会と異国の地で馬券を打つ機会。どちらを取るかとなれば即座に後者を選ぶのが、我々競馬好きという人種である。「ひとり旅で良かった」とぼくは思った。もしパリ旅行を楽しみたい同行者がいた場合、「モナリザより馬」なんて口走った日には張り倒されても文句は言えないであろう(その昔、6日間ばかりの英国旅行で無理言ってチェルトナム競馬場行きに丸1日を費やした際、ついでに別日でサンダウン競馬場も行きたいと言ったら張り倒されたことがある)。

 PMUの内部に入る。広さはさほどではない。フロアは1Fのみで、床面積は日本の一般的なコンビニと大差なかった。フロアの奥の方では、オートゥイユ競馬場で行われている障害競馬の中継がサムソン製の馬鹿でかい液晶テレビに映し出されている。馬券購入用の券売機については、ロンシャン競馬場にあったのと同じタッチパネル式のものが置かれていた。また払戻しの有人窓口内部では、この世の終わりみたいな不機嫌ヅラを晒したおばちゃんが、「何もかも面白くない」といった風情のドス黒い雰囲気を放ちながら新聞などを読んでいた。

 日本のWINSと同じノリでPMUに入ったぼくだが、しかし何というか雰囲気が日本のそれとは少々異なることにすぐさま気づいた。誤解を恐れずにいえば、ちょっと客層の雰囲気がよろしくないのだ。凱旋門賞ウィークエンドの一般席にいたような着飾った人びととはまるで雰囲気が異なる(当たり前だ、凱旋門賞ウィークエンドのチケットは高額である)。少し滞在しただけでわかることだが、ヨーロッパは社会階層ごとの断絶が日本では考えられないレベルで存在する。パリもそうだ。そして平日昼間のPMUにいた人びとだが、まず身なりがあんまりよろしくない(バックパッカーみたいな格好で毎日街をうろついていたぼくが言えたことではないが……)。挙措から漂う彼らのガラも、ちょっとだけ悪いように感じる。

 この辺は現場でビリビリと感じた皮膚感覚によるものとしかいいようがなく、万人が納得できるような理屈での説明が難しい(身なりやガラの良し悪しで人を判別するのかと言われれば返す言葉もないわけであるが、しかし日本から出たことのないひとがそうしたことを思ったのだとしたら、パリのような街へいちど行ってみろと言いたくなるのも事実である)。なので見たままの事実のみを列挙する。まずヨレヨレの服を纏った高齢の白人やアジア系の男たちが大勢いる。日本のWINSで見かける馬券オヤジのようなもんである。一方サムソン製の馬鹿でかい液晶テレビの下では、アフリカ系や北アフリカ系とおぼしき男たちが「たむろする」としか形容しようのないかたちでスペースの一角を占有し、明らかにフランス語でない言語も交え何ごとかを大声で話している。たむろする男たちについては、彼らの兄貴分的な雰囲気を醸し出す身長一九〇センチ超のアフリカ系の男(ガタイの良い)が何かひとこと言うたび、他の男たちが「ガーーーーーッハッハッハッハッ!!!」「ダーーーーーーーッハッハッハッハッハ!!!」と死ぬほどデカい声で爆笑している。迫力しかない。

 ともあれ内部の雰囲気については、普通のパリ旅行者が物見遊山のついでに立ち寄るような感じでないことは確かだった。はっきり言おう。ガラが悪い。とはいえ、新宿や渋谷、後楽園や浅草のWINSだって「差せ蛯名ァ!!!」だの「何やってんだヨシトミ馬鹿ヤロォ!!!」だの凄まじい胴間声を上げる客というのはよく見かけるもので、場外馬券売り場とはすなわち鉄火場である。ガラなど悪くて当たり前じゃないかとぼくは思った。

 例えば浅草のWINSなんて『ここで小便をしないでください』という張り紙がフロア内になされていたことで有名だ。更に震災で改築する前の新宿WINS(改築前の新宿WINSは凄かった。カオスという言葉の意味を、ぼくはあの場所で教育された)では明らかにスジ者然とした男が高額払戻窓口で受け取った札束をセカンドバッグへ無造作に突っ込んでいるところも目撃した。パリの場外馬券売り場だって、同程度とはいわずとも間違いなく鉄火場だろう。客層と雰囲気にちょっとビビっておいてなんだが、ある程度想定済みの雰囲気の悪さではあった。「競馬とはスポーツである」「競馬とは程々に嗜む大人の遊びである」などと取り繕ったところで馬券が存在する以上、競馬とは純然たる賭博に他ならず、賭博に群がる者たちが皆お上品であるわけがない。場外馬券売り場は、そんなことを我々に思い起こさせてくれる。

 で、その日はパリ郊外のオートゥイユ競馬場にて障害競馬が行われていた。障害競馬というのはサラブレッドがコース上に設置されたいくつものハードルをピョンピョン飛び越えながらゴールを目指す競馬である。ヨーロッパの障害競馬といえば、コースが鬼畜すぎて騎手がドコドコ落馬しまくる英国のグランドナショナルなどが有名だ。なおこれは完全に余談だが、YouTubeグランドナショナルのジョッキーカメラ映像がアップロードされている。飛び越えるハードルのアホみたいな高さだとか、隣を走っていた騎手がいつのまにか落馬して画面からフレームアウトする緊張感とか(進撃の巨人かよ)、凄まじい迫力なので競馬を知らなくても一見の価値ありである。


JOCKEY CAM: Many Clouds wins the 2015 Crabbie's Grand National

 熱心な海外競馬ウォッチャーとは言い難いぼくのことである。ただでさえ情報の乏しい海外競馬、それも平地競馬(普通の競馬のことね)とジャンルの異なる障害競馬ともなれば、もう情報など「無」以外の何ものでもない。ぼくは開き直ることにした。「1番がナンバーワン……馬番1!!!」とか「何レースか3番人気〜5番人気の単勝を全部買えば、そのうち当たって利益が出るだろ」とか死ぬほど適当なポリシーで馬券を買い続ける。前者なんか浦安鉄筋家族に出てくる難波湾そのものである。そして馬券はというと……当たらない。びっくりするほど当たらない。もはやユーロ札を1レースごとに紙屑へ変換し続ける作業である。

 ヨーロッパの障害競馬は扉つきのゲートを使わないのでスタートがきわめて適当だ。いわゆるバリア式のゲート(芝コースにロープを張り渡すことでスタートラインを仕切り、発走時間になるとロープが跳ね上げられ馬たちが一斉にスタートする。日本ではもう見ることのなくなった原始的な方式だ)だから、発馬後の位置取りが結果のほぼすべてを決定づけるといっても過言ではない。見ていると、差し追い込みはこれっぽっちも決まらない。行った行った(逃げ馬同士で上位独占すること)で決まるレースばっかりだから、勝ち馬を予想しているんだか逃げるのがどの馬かを予想しているんだか次第に分からなくなってくる。まぁ、障害競馬なんだから当たり前である。

 別のモニタでは他場の中継だろうか? レース結果のVTRであろうか? どちらかはわからないが繋駕速歩競走(けいがそくほきょうそう)の映像が流れている。そう、驚くべきことにフランスでは繋駕速歩競走がまだまだ現役で行われているのだ。ちなみに日本のJRAでは1968年を最後に繋駕速歩競走は一切開催されていない。だがフランスでは2019年現在も人気であるようだ。そういえばロンシャンの凱旋門賞ウィークエンドでも、場内の他場中継では繋駕速歩競走の映像が流れていて、中継モニタの下にえらい人だかりが出来ていたのだった。フランスはスウェーデンなどと並び繋駕速歩競走が盛んな国である。文化圏が違う。そんなことを思った。

 繋駕速歩競走はトロッターやペーサー(両者は馬自身の歩法で区分けされる)と呼ばれるスタンダードサラブレッドの馬に、人が乗った繋駕車なる二輪馬車を引かせることで競走をさせる。その見た目たるやまるで古代ローマの戦車競走、あるいはベン・ハーである。なおスタンダードサラブレッドは平地競馬や障害競馬のサラブレッドとは品種が異なる馬である。闘争心と身体能力に優れるサラブレッドと比べ、気性が大人しく操縦性に優れる品種なのだそうだ。また牽引された二輪馬車へ大股おっぴろげた格好で乗り込む騎手は「ジョッキー」ではなく「ドライバー」と呼称される。更にここが最も肝心なことだが、繋駕速歩競走はあくまで「速歩競走」であるため、駆け足(ダッシュ)で馬を走らせることは反則である。だから裁決委員から「ん? あの馬走ってない? 違法走法では」と見なされれば即座に失格となってしまう。基準は実に厳格であると聞く。しかし駆け足でなく速歩で競馬を行うなど、八百長の温床になってしまうのではないか……? 特に繋駕速歩競走へ明るくないぼくは、そんな疑問を抱いたのであった。でもまぁ、古代の戦車競走に起源を持ち、軍馬育成とともに盛んとなった繋駕速歩競走がいまだに人びとに好まれているというのは、何とも実にヨーロッパらしい。

 で、オートゥイユの馬券はすべて外れた。20ユーロから30ユーロくらい負けたと思う。手もとに残ったのは例のお釣り引換レシート、あるいは馬券に換えられるバウチャー1枚、たったの1ユーロ分のみである。全レースが終わってしまったのだから買えるレースはもはやなく、ぼくは泣きながら不機嫌おばちゃんのいる払戻窓口へ向かっていく。お釣り1ユーロを受け取りに行くためである。しかし、おばちゃんは窓口の中にいなかった。仕事をサボタージュしていたのである。

「そんなことある??????」と、ぼくはおばちゃんが戻ってくるのを待った。パリ旅行中、日本では到底許されるレベルではない雑な仕事、あるいは愛想のない仕事をする人びとをそれなりに見てきたが(おばちゃんもそのひとりである)、とはいえこの手の話は日本社会が労働者へ求める仕事の基準が病的なまでに高すぎるという話でしかないように思え、郷に入っては何とやらというわけで、異国の地において街中の労働者へ日本並みの行き届いたサービスを期待するのは馬鹿のやることである(ロンドンのターミナル駅では、「X号車ってここ?」と扉の開閉をしていた駅係員へ聞いたところ「それを教えるのは私の仕事ではない」とばかりに「I don't know」と思い切りガンをつけられたことがあった)。

 おばちゃんが戻ってきた。ぼくはお釣り1ユーロを引き替えるためのレシートをスッと出した。おばちゃんがレシートを一瞥し、ついでぼくの顔に一瞥をくれる。マジで愛想のかけらもありはしない。おばちゃんがレシートを機械に通した。出力されたお釣り1ユーロ(コイン1枚)をおばちゃんは囲碁でも差すかのような具合に「バチーーーーーーーーーン!!!!!」とぼくの前に叩きつけた。麻雀であればマナー違反と誹(そし)られても言い訳できないレベルの「バチーーーーーーーーーン!!!!!」である。おばちゃんからは「メルシー」の一言もありはしない。それどころかフランスにおいてはサービスを受けた場合は客の側も「メルシー」と感謝の意を表すのが作法である(余談だがフランス人はことあるごとに「メルシー」と言う。日本人感覚でいえば「ありがとう」より「ドーモ」の方が訳語として適切なのではないかとぼくは思う)。だからぼくは死ぬほど無愛想なおばちゃんに「メルシー」と言ってPMUを辞去したのである。馬券でボロ負けしたあとにカフェで飲んだエスプレッソの味が、ひどく苦かったことはいうまでもない。

(おわり)