【ネタバレ無し】相生あおいの無駄毛のこと

 相生あおいはきっと無駄毛の処理が甘いと思う。きっと甘いと思うのだ。何の話かというと『空の青さを知る人よ』という新作アニメ映画の話である。これから考え得る限り最低な映画評を展開するので、そういう品性下劣な記事が読みたくないという清廉潔白な人びとにあっては、いますぐブラウザの戻るボタンを押すか、もしくはブラウザタブを閉じるか、PCやスマッホのディスプレイを叩き割るか、いずれかを実行してほしい。

 というわけで『空の青さを知る人よ』の話である。以下の記事は、今回のような「ミジンコのクソにも劣る感想記事*1」を読みたくない人びとが前段落末尾の文言を読んで100%ブラウザを閉じている前提で話すので、そのつもりで読んで欲しい。また「記事がクソほどに下劣である」というクレームは一切受け付けるつもりがないので、そのこともご了承をいただきたい。ついでにリアルで交流がある人は、変わらず友だちでいてくれれば幸いだ。

  さてこの『空の青さを知る人よ』という映画は、姉である市役所職員の女(31歳)と歳の離れた高校2年生の妹(17歳)をめぐる比較的ややこしい間柄を描いた物語である。映画本編を通じて徹頭徹尾、主題のフォーカスは姉妹の関係性に据えられており、男も出てきてそれなりに恋愛っぽい話が展開されるわけであるが、しかし姉妹の関係性にまつわるエピソードがあまりに強烈であるため、男女の色恋をめぐる話は刺身のツマ——というのは言い過ぎにしても、鉄火丼に敷かれた紫蘇の葉程度の存在感になっている。そのことについては終盤とても分かりやすく描かれたシーンがあるのだが、大きなネタバレになるのでここでは伏せる。事前のプロモーションでは男と女の四角関係恋愛話かと思わせておいて、蓋を開けたら姉と妹の濃密な関係性の話が展開されて、さりとて脚本上そこに四角関係の恋愛がないと姉と妹の話が成立しないし、ラストシーンのキメも機能しない——そんな塩梅の構造である。

 とまぁそんな映画ではありつつ、ぼくが話したいのは姉妹の関係性が結構観客の胸を抉ってくる類のものだったとか、そんな話ではもちろんない。上映中近くに座っていたチャンネーがことあるごとに鼻ズビズビさせながら泣いてて鬱陶しかったとか、そんな話でももちろんない。端々でちょっと(無論悪い意味での)邦画っぽさが出ていたところや「観客よさぁ泣け」みたいな趣が滲み出ていたところとか、そんな話でもないのである。

 ぼくは相生あおいの無駄毛の話がしたいのだ。切実に、かつ真摯にそう思う。これは祈りに似た気持ちといっても差し支えない。

 相生あおい——ところどころ姉譲りの顔立ちをしているくせして無愛想で愛嬌がなく、向こうっ気ばかり強くてムスッとしており、目力があるくせにやさぐれていて陰があるし、イキッているし、カチンときたらすぐキレるし、ガサツゆえ制服のスカートを穿いているときの座り方は死ぬほど雑で、眉毛は手入れをしないからこの世の終末(ハルマゲドン)のごとくボーボーであり、髪の毛なんかは一本一本が太そうだ。更に学校では高2だというのに友だちはひとりもなく、バンドへの加入を断り続ければ男子から「ブス」と強めの口調で陰口を言われる。そんな彼女が、例えば冬のあいだ懇切丁寧に自らの無駄毛を処理し続けるだろうか? 答えは「否」以外ありえないのは明白である。論理的帰結として明白なこと自体が既にして明白である、と言い換えてもよいだろう。

 そんな無駄毛ベーシスト・ガールである相生あおいが奏でる音は、うねるような低音がズシッと腹に底に響き渡り、何だかドロッとした情念のようなものさえ音の内側に孕んでいて、こういってはなんだがブルージーだ。ドロッとうねるブルージーなベース……そう、無駄毛なき者が弾ける音では到底ない。ゆえに彼女はきっと脂足だ。靴を履いて出歩けば、夏であろうが冬であろうが季節を問わず靴下の足裏部分がベチョベチョに汚れるタイプに相違ない。断言するが脱いだ靴下は絶対にくさい。それくらい相生あおいのベースはドロッとしている。ついでにいえば、どこへ感情の矛先が飛んでゆくかわからない思春期特有というにはいささか過剰ともいえる内面も、曰くドロッとした情念に溢れていてウェットだ。少なくともドライではない。そう、彼女の内面はウェットなのだ。少しサバサバした外面向けの口調に騙されてはならない。あのウェットさがないと姉妹の物語が成り立たないから、彼女がウェットであることは作劇上きわめて重要である。だからきっと、心のウェットさが丹田を通じたはたらきか何かでリンパを経由し体表面まで滲み出るから、東洋医学の観点からして脇汗だってウェットに決まっている。脇毛の尖端が湿り気でちょっとまとまってしまうタイプに違いない。またしても不潔な話で申し訳ないが、耳垢は絶対に飴状だ。これらは確信を持っていえることだ。

 更に、この指摘は「エジソンはえらいひと」レベルで月並みにすぎる事柄であるため絶対に言うまいと思っていたことだが、おそらく彼女の眉毛と陰毛の太さ・濃さはかなり密接に連動している。これは科学的に明らかな事実であり、異論を差し挟むやつはいまだに天動説や地球平面説を支持するような輩なのでどうしようもない。あの性格で陰毛を懇切丁寧に剪定するとはとても思えないから、その生育ぶりたるやほぼ手つかずの原生林——いわばユネスコ自然遺産のようなものである。そうした自然遺産たる原生林の生育範囲が既に蟻の門渡りを越境しつつあることなど、当たり前すぎて欠伸が出るほどの事実であることも付記しておく。

 以上の相生あおいをめぐる事柄は何によって規定されるか——そう、遺伝である。となれば31歳の姉(市役所職員)も似たような体質にあることは確定的に明らかであり、疑いを差し挟む余地は1マイクロミリたりとも存在しない。だが(残念なことに)姉はそういうところに気を回す性質(たち)だから、自らに生い茂る原生林の剪定は比較的丹念だろうといわざるを得ない。しかし、本編において見逃してはならないシーンが存在する。職場の接待から帰宅した姉が、少々しんどそうに「今日はお風呂入らずに寝ちゃおっかな」という内容の発言をするシーンである。きわめて所帯じみた味のある台詞であるが、ここでぼくは姉に存在する無駄毛の可能性について、一縷の希望を見出すことになったのだ。

「ひょっとしたら、姉も冬は無駄毛の処理をサボタージュ*2するのではないか……?」

 まさしく天啓のような閃きがあり、ぼくは敬虔な心持ちに包まれた。近くの席で泣くチャンネーといっしょに上映中声を上げてオイオイ泣くことも辞さないほどの精神状態である。妹同様とまではいかないが、姉のユネスコ自然遺産も無為な伐採から守られていたのだ。

 とまぁ、かような具合に無駄毛姉妹のちょっと一筋縄ではいかないような関係性がガッツリ描かれるのがこの映画である。無駄毛姉妹の恋愛対象として、何とも陰毛の薄そうな男が2名程度出てくるが、そちらはそちらで映画に不可欠な登場人物でありつつ、しかし最もウェイトが置かれるのは無駄毛姉妹であるので、ウェットな姉妹愛(しかも歳が10歳以上離れている)とか好きなひとは劇場に足を運んではいかがだろうか*3。無駄毛姉妹の無駄毛っぷりは、このぼくが保証する。

 しかしまぁ、無駄毛生やして友だちも作らず、教師に「東京」とだけ書いた進路調査票を叩きつけ、なおも頑なにバンドを組まず突っ張り続ける相生あおいの生き様たるやかなりシブい。映画冒頭、渋面作ってカナル式のイヤホンを嵌めて夕日の差す屋外へと座り込み、通りに背を向け、ブインブインと景気よくギブソンサンダーバードを掻き鳴らす様は見ていてかなりシビれるシーンだ。凡百のどうしようもない映画なら、ベースソロの長回しから主題歌のイントロをバーーーーーーーンッ!!! とかぶせてスタッフクレジットがドーーーーーーーンッ!!! みたいな品のない演出を行ったであろうが、この映画は優れているからそんなことを決してしない。ここでぼくの中におけるこの映画への信頼度が5000くらいになった。なおこれの内訳としては、①高2女子なのに無駄毛生やして友だちも作らず突っ張るのは社会の規範に縛られない行いであり、滅茶苦茶にカッコ良いから(加点:4750)、②カナル式イヤホンによる周囲の雑音のシャットダウンとベースソロの長回しを、コントロールされた演出としてじっくり丁寧にやったから(加点:250)である。

 相生あおいの無駄毛JKぶりをまざまざと見せつけられた出来事がある。2019年10月23日時点において、彼女のファンアートで「相生あおいだ」と思える絵が1枚たりとも存在しないのである。何というか、どのイラストで描かれた彼女も無駄毛が一切なさそうなのだ。そのとき、そもそも公式のキャラデが奇跡的な塩梅で成立しているのだと、凄まじいことに気づいてしまった。ムスッとしすぎていても駄目、キリッとさせすぎていても駄目、眉毛太くすりゃいいわけじゃない、何がしかの「ややこしさ」や「無形の情念」を湛えた顔でなければ彼女でない——といったキャラデであるようにぼくは思った。このキャラを、本編で表情コロコロ変えさせながらアニメとして動かしていたのか……? それは凄まじく高度な綱渡りといってもよい所業だったのではないか……? ぼくはにわかに戦慄した。いまのところ、無駄毛が生えてそうな彼女は本編と公式アートにしか存在しない。

 なお余談ではあるが、脇役として出ていた相生あおいの同級生女子については無駄毛が一切なさそうだったので、特段語ることが存在しない。

(おわり)

*1:すなわちインターネット上においてありふれたゴミ、カス、クソ、サーバーの記憶領域の無駄遣いのことである。

*2:シュワルツェネッガー主演の映画ではもちろんない。

*3:急に真面目な話をして済まないが、この映画について「百合?」と聞かれればその回答ははっきりと「No」であると言っておこう。この映画で描かれるのは姉妹愛ではあるが、少なくとも百合ではない。姉妹愛はその領域まで踏み込むことは決してない。理由はネタバレになるので一切を伏す。