パリまで凱旋門賞を観に行った話

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 パリまで凱旋門賞を観に行った。渡航費だが往復航空券とホテル代(4泊5日)、そして凱旋門賞ウィークエンドの2日間通しチケットで概ね27万円程度かかっている。高ぇ!!! しかも物価の高いパリで外食をしまくったのだから実際にはもっとかかっていると思われる。郊外の治安がとりわけ悪いパリのこと、安全を金で買うという考えのもと安宿を選ぶという選択肢はなくホテル代は一切ケチれないので、エールフランスの直行便(しかも高額な深夜便)ではなくトランジット有りの格安航空券にすればよかったと少しだけ後悔した。でも死ぬまでに一度はエールフランスの長距離便に乗りたかったし、まぁいいか。

 日本からヨーロッパまでの長距離フライトが好きである。何しろ座席へ缶詰になる時間がとてつもなく長い。メルカトル図法上、グイッと北へ大きく回る航路も好きである。ロシアの国土の馬鹿デカさを肌で感じることができるし、場合によっては北極圏さえ通過する。羽田or成田を離陸後、北朝鮮領空を避け東北沖からウラジオストクめがけて大きく旋回するときなど最高の気分になる。

 さて、今回の往路は羽田発CDG行きのエールフランスに搭乗した。23時ちかくに東京を発つ深夜便である。20時過ぎに羽田空港国際線ターミナルへ到着し、人も比較的まばらな出発ロビーでチェックインを済ませ、出国手続きを済ませる過程は何だか非日常的でわくわくした。日本発のフライトで海外のキャリアを利用すると、たとえエコノミーであってもチェックインが超速で済む(ことが多い)のでえらい優越感に襲われる。JALANAのエコノミークラスのチェックイン待ち列など地獄のような行列である。そうした人々を横目にさっさと出国手続きに向かえるのは最高だった。

 しかしまぁ、エールフランスのチェックインカウンターの簡素さったらなかったように思う。もっといえばチェックインカウンターですらなかった。いってみればバゲージドロップカウンターである。事前のオンラインチェックインがあり、それを済ませた上で空港の自動発券機を使って自分でバゲージタグを印刷して巻き付け、カウンターではスーツケースをポイッとドロップするだけである(羽田のバゲージドロップは有人であったが、CDGでは何とほぼ無人であった)。まるでLCCだ。合理主義もここまでくると感心する。というか、いまどきの航空会社ってこんな感じなのだろうか。旅慣れているわけではないのでよくわからない。有識者がいたら教えてほしい。

 出発前は制限エリアのカードラウンジを思う存分使い倒した。自分のような低級市民でもクレジットカードさえ持っていればラウンジを使えるというのは大変素晴らしい制度であるように思う。しかも夜中とあってそれなりに空きがあり、大変使い勝手がよかった。有料ではあるがシャワーさえ使えるので最高だ。ちなみに成田にあるJALのファーストクラスラウンジでは、カウンターにいる寿司職人たちが客の目の前で新鮮なスシを握ってくれるらしい。ブルジョワジーたる乗客に向けた、まさに贅を尽くしたサービスである。世界観がニンジャスレイヤーと紙一重だ。ここ日本において所得に応じた階級差というのはえてして覆い隠されがちであるが、空港や飛行機においてはファースト/ビジネス/プレエコ/エコノミーといった具合に、そうした階級差が顕わになるというのが面白い。金を持っている者と持たざる者は、チェックインの待ち列も違えば通されるラウンジも異なり、搭乗順も異なるし、座席の広さや提供されるサービスの質、飛行機から降ろされる順番も異なるのである。ちなみに優先搭乗に関しては海外の空港に行くと扱いの差を露骨に感じることができて素晴らしい。エコノミーの乗客なんかは搭乗ブロックごとに並ばされて、係員から「Open your passport!!!」とクソデカい声で怒鳴り散らされることになる。こうした瞬間などたまらなくゾクゾクする。ちなみにエアラインの世界においては近年ファーストクラスを廃止する方向へ向かっているというのがトレンドらしい。我々低級市民たるエコノミーの民(たみ)にとっては「ふーんそうなんだ」という程度の話ではあるのだが。

 さておき、エールフランスのパリ行き深夜便(エコノミークラス)は満席であった。エコノミーで満席というのは最悪である。12時間あまりのフライトとなれば尚更だ。座席で缶詰というのが好きな性質(たち)であるとはいえ、キツいことには変わりない(まぁそうしたキツさを含めて座席で缶詰が好き、という多少ややこしい話ではあるのだが)。エールフランスは30時間前からのオンラインチェックインでのみ座席指定が可能であるが、しかし事前に金さえ払えばオンラインチェックイン以前のタイミングにおいて好きな座席が指定可能である。イグジット・ロウ席や二人掛け席、キャビン前方の席、通路側席、窓側席は人気であり、早くからこうした座席は埋まってゆく。つまりどういうことかというと、長距離国際線において最も不人気な席=真ん中の席に座りたくなければ金を払うしかない、というわけである。というわけで、ぼく自身も金を払って前方通路側席を確保した。座席指定においてはだいたい追加で三千円程度かかったように記憶している。高ぇ!!!

 ちなみに、の話であるが、今回乗った機材は往路復路ともにボーイング777-300ERである。長距離路線においてはスタンダードといってよい機材であるが、今回その座席配分を見て仰天した。というのも、キャビンに配された座席の大半がビジネスクラスだったからである。エコノミークラスなどは全体の三分の一程度、キャビン後方にあっておまけ程度にくっついているのみである。国際長距離線においてエコノミーの客は金にならん、というのは仄聞(そくぶん)していた話ではあったのだが、これまでとはと思った次第である。

 と、ここまで読んでくれた人には何となくバレていることとは思うが、あまり公言したことはないもののぼく自身それなりの飛行機好きである(反面、自動車と鉄道には全くといっていいほど興味がない、単なる移動手段くらいにしか思っていないほどである)。何を隠そう、その昔マイクロソフトフライトシムでセスナ機を有視界飛行やVOR航法でブンブン飛ばしてた人間である。あと最近は搭乗レビュー系YouTuberの動画を良く見ている。おのださんとか、スーツ君とか(スーツ君がエコノミー症候群防止用体操の機内コンテンツを視聴しながらファーストクラスの食事に舌鼓を打つ回はギャグとして大変高度であり、全動画中いちばんの傑作である。ちなみに東京から札幌までスネ夫の真似をすべく飛行機で味噌バターラーメンを食べに行く回も絶品だ。とんでもなく鋭い作品批評が、不意打ちのように飛び出してくるからである)。

 そして今回、せっかくエールフランスに乗ったのだからというわけで、試したいことがひとつあった。事前予約にて注文可能な有料アップグレードミールである。かの美食大国フランスのフラッグキャリアであるエールフランスは、金を払えばエコノミーの民(たみ)であっても美味いフレンチにありつくことが可能なのだ。これは選択するメニューにもよるが、だいたい追加で二千円〜三千円程度かかったように記憶している。高ぇ!!! この有料アップグレードミール、往路便では「トラディション」なる仏国伝統料理のメニューを選択した。そしてこれが死ぬほど美味かった(なお復路便で選んだフォションプロデュースのミールはイマイチであった……)。無花果添えのフォアグラ、うま味の暴力みてぇなミチミチの肉に、付け合わせの芋と温菜、そしてチーズ。これにアペリティフシャンパーニュなどを合わせればもう無敵である。調子に乗って白ワインの小瓶と食後酒まで開けてしまった。なおその後、乗客たちがグースカ眠るなかキャビン最後方の便所でひとりゲーゲー嘔吐しまくってしまったことはいうまでもない。ぼくは元々酒が弱く、更に飛行機だとヘパリーゼやミラグレーンを服用していたとしても100パーセント悪酔いする。高度3万6000フィートの高みで吐くゲロはほんのりと未消化のフォアグラの風味がして、「さすが美食の国の伝統料理! ゲロまでおいしい!」などと馬鹿なことを考えてしまったことを書き添えておく。

 地獄のすし詰め缶詰状態たる機内においては、①悪酔いしてうなされながら大汗をかいて眠る(最悪)、②Kindle端末を用いて大量の漫画をバカみたいに読み耽る(気持ち悪くて集中できない)、の二択で過ごしていた。十数時間におよぶ長距離便の機内においてKindle端末に入った未読漫画や単行本の新刊を崩すというのは、大変革命的な時間の過ごし方であろうと思う。数十冊〜百冊超におよぶ大量の漫画を機内に持ち込むなど、電子書籍(死語)が一般的でなかったひと昔前では考えられなかったことである。しかも読書灯がいらない。最高である。エコノミークラスの小っちぇえディスプレイで映画を観るなど、映画を暇つぶし程度にしか思っていない者が考え出した、映画に対する冒涜であると思っていた身からすると、それ以外の選択肢が生まれるというのは大変ありがたい(物理書籍の文庫本を読もうにも、暗転したエコノミークラスの機内でペカーっと読書灯をつけるのは何とも気が引けるものである)。ちなみに往路では『かげきしょうじょ!!』の最新巻と『波よ聞いてくれ』の未読分計2巻、『アクタージュ』と『チェンソーマン』の最新巻、更に『夜と海』の1〜2巻、そして復路では『はねバド!』の既刊1〜15巻を読んでいた。飛行機が北極圏を通過する頃合い、それまで真っ暗だった外において空の底がうっすらと明るくなる。そんなタイミングで「夜凪景と百城千世子……レズビアン役のダブル主演ではやく濡れ場を演じてくれ……」と念じていたら妙に神聖な心持ちになってしまった。今回の旅行において忘れ得ぬ瞬間である。

 完全なる余談であるが、12時間におよぶ長距離フライトも半ばを過ぎた頃……日本時間午前7時頃に、隣に座っていた日本人青年のiPhoneが大爆音でアニソンを流しはじめたときには「俺、どうしたらいいんだろう……」と著しい困惑状態に陥ってしまった。おそらく普段使っている目覚まし用のアラームを切り忘れていたのだと思われる。機内エンターテイメント用のヘッドホンを着用した状態で爆睡中である隣席の青年が起きる気配は一切なく、爆音で流れ続ける萌え声のアニソンがキャビンに朗々と響いている時間がしばし続く。次第に目を覚ましはじめる周囲の乗客たち……他人のスマホへ勝手に触れてアラームを止めるというのは不作法すぎる。かといって本人を起こすのも忍びない。八方塞がりの状況にあって、共感性羞恥というのはこういうときに感じるものなのか、と詮のないことを考えたものである。

 さてさて、クソデカ迷路空港ことCDGの第2ターミナルには午前4時半頃に到着した。そう、日本を午後23時半頃に離陸した飛行機は12時間におよぶフライトを終え、時差の関係で翌日の午前4時半にパリへと到着するのである。実際には12時間が経過しているというのに時計の上では5時間しか経過していないので、何とも頭がおかしくなりそうになる。しかも気温が20度近くあった東京に比べ、早朝のパリは気温が13度近くまで低下している。寒い。しかも湿度が低い分、肌を刺すような寒さである。そして日の出の時刻に至るや午前8時台であるのだから大変だ。自律神経までおかしくなりそうな心地である。悪酔いした状態での睡眠など、エコノミーの座席においては寝たうちにも入らないのだから尚更だ(今回、偶数人数のグループで長距離路線に乗る際はプレミアムエコノミー1択であることを痛感した。プレエコは大体の場合シート配置が2-4-2になっているためである。おそらく疲労軽減の効果は絶大なのではなかろうか)。

 入国審査については係員にバーーーーンッ!!! とスタンプを捺されるのみでおしまいだった。CDGの到着ロビーは午前4時半とあってガランとしている。トランジット待ちなのかそこらのベンチで人間がグースカ眠っている。荷物の受け取りに関しては近場に喫煙所があるので12時間ぶりのタバコを吸いながら自分のスーツケースが出てくるタイミングを待つことができる。最高! 羽田空港も見習って欲しい。なお外の喫煙所でタバコを吸っていると(おそらく)白タクの客引きが「TAXI?」とか言いながら無限に話しかけてくるので「ノンメルシー」と追い返すことを無限に繰り返す羽目になってしまった。

 開店していたカフェがあったのでパンと鉱水を摂取しながら到着便の掲示板を見ていると、アフリカや中東やアジアからバンバン到着便がやってきている。さすがはヒースローやフランクフルト、スキポールと並ぶヨーロッパ最大規模のハブ空港だ。午前6時前まで手許のスマホ凱旋門賞ウィークエンド初日の出馬表などを眺めながら時間を潰し、ロワシーバスなる高速バスに乗るべく移動する。そう、CDGからパリ市内までの移動手段においては、治安の観点からサン=ドニを突っ切るRER(鉄道)を避け、高速バスで移動するのが適切であるとされているのだ。外務省などは「RER(鉄道)は邦人が手荒な強盗事件に巻き込まれる事例が相次いでいるので利用は避けよ、タクシーは渋滞で止まった際に窓をブチ破って荷物を奪うバイク強盗が頻発しているので気をつけよ(白タクなどはグルになっていることもある)」という旨の声明を出しているほどだ。かような具合に、パリ郊外はとにかく治安が最悪である。

 そういうわけで、ひとり旅とあって正規のタクシーでは価格的メリットが見出せず、バスを利用することにしたのである。なお今回の旅行においてロワシーバスの券売機でのみ、持参したVISAのクレジットカードが使えなかった。今後パリへ行くひとがいれば注意されたし。 ロワシーバスの経路としてはCDGの各ターミナルを回り、ハイウェイでサン=ドニの街を突っ切って、モンマルトル方面を抜けてオペラ座のバス停に到着といった感じである。そしてバスの車窓から見えたサン=ドニの街並みがすごかった。すごかったというのは、話に聞いていた以上の荒れようですごかった、という意味である。たぶんこれまで日本において目にしたグラフィティアート(壁の落書き)の総量を、たった数分間で通過したにすぎないサン=ドニの街のグラフィティアートが量にして軽く超えていたのではないかと思えるような、そんな景色であったのだ。ボロボロになった公共施設とおぼしき三階建ての建物全体がグラフィティアートに覆われているとか、車道脇の壁が数百メートルに渡ってグラフィティアートに埋め尽くされているとか、街中にとんでもない量のゴミが散乱しているとか、一事が万事そういう感じである。こういっては何だが、ちょっと異様な光景だった。確かにこの街を通るRER(鉄道)の、特に各駅停車には強盗に遭うリスクがあるから絶対乗るなというのは、まぁそれなりの説得力があるなと思った次第であった。で、午前7時ちかくにオペラ座へついた。オペラ座のバス停周辺は手練れのスリたちによるヨーロッパ選手権会場だ、くらいの勢いで聞いていたのだったが、まぁ早朝とあってか人気はなく、スリたちもさすがにこの時間には活動してないよなとか思いつつ、ホテルへ徒歩で移動した。ダメもとでアーリーチェックイン可能かを確認する目的と、邪魔くさいスーツケースをフロントで預ける目的である。

 日の出は午前8時台なので、午前7時頃であるというのにまだ外は真っ暗だ。ガラガラとスーツケースを引きながら石畳の歩道を歩いていると、あぁヨーロッパの街に来たなという感じになってくる。ぼくは扁平足であり足裏が物凄いダメージを負いやすい体質なので、アーチ補助のインソールを入れたニューバランスの900シリーズ(足裏が全然疲れない)以外で石畳で舗装されたヨーロッパの街を歩ける気がしない。オペラ座界隈をサン・ラザール駅方面めがけて徒歩で移動していると、高級百貨店の居並ぶ通りに恐るべき数の段ボールハウスが鎮座しているのが見て取れた。街の構えは大変立派ながら、そこかしこから景気の悪さが滲み出ているという、いわばある種の「パリらしさを」いきなり見せつけられた格好だ。

 ホテルに着いてフロントへスーツケースを預けると午前8時を回っていた(やはりアーリーチェックインは部屋が満杯なので出来なかった、そりゃそうだ)。まだ外は暗いままだ。フロントのお兄さん(超ナイスガイ)の爽やかスマイルに見送られると、途端に手持ちぶさたになってしまった。ロンシャン競馬場への移動は正午頃だ。まだ門が開いていないしポルト・マイヨの駅からシャトルバスも出ていないであろう。あと4時間は、どこかで時間を潰さなくてはならない。小雨が降るなか、適当なカフェに入りエスプレッソと朝食を摂り、何となく持参した地球の歩き方を開くが、どの観光名所にも驚くほど心を惹かれない。エッフェル塔凱旋門付近はヨーロッパ有数の軽犯罪天国だと聞くし、行くのもなんだか「お上りさん」じみた所業のような気がして冷めてしまう。そこで適当にオペラ界隈からセーヌ川河畔にかけてをほっつき歩いたが、ザーザー降りの雨でずぶ濡れになってしまい、疲労だけが残って終わってしまった(しかし街並みはさすがに綺麗で、カッコ良かった)。

 タバコが吸いたくなったので街中で堂々とタバコを吹かす。パリの喫煙事情はロンドンなどとさほど変わらず「室内で吸うやつはブチ殺す、外はOK。お外はでっけぇ喫煙所!」というノリである。なのでその辺を行き交う市民ときたらガンガン歩きタバコをするし、吸い殻などはその辺に設置されているゴミ箱(パリの街にはゴミ箱が多い)のフチでグシャグシャに揉み潰して、ゴミ袋の中にポイッ! という感じだ。その辺に地面に落ちた吸い殻の数もかなり多い。ぶっちゃけ日本では到底信じられないような喫煙マナーがまかり通っているといった印象である。そんなこんなでその辺の街角で立ち止まってタバコを吸っていると、とにかく道行く人々から「タバコくれ」と声をかけられる。これはロンドンでも同じだった。ヨーロッパなどの社会では他人にタバコをせびるのが当たり前だからなのか、それともぼくがボケッとしている旅行者然とした見た目だから「こいつからは簒奪(さんだつ)できる」と舐め腐った態度を取られているのか、それはよくわからない。でも、仮にぼくが身長190センチ、体重110キロのキンボ・スライスみてぇなガタイだったらタバコをせびられるようなことはきっとないだろうと断言できる。ともあれ、その辺でタバコを吸っていると、明らかにぼくの財布に用がありそうな怪しげな男が「ボンジュー」とか言いつつニタニタしつつ接近してくるなどの出来事には遭遇したので、「ソーリー、ディスイズラストワン」と言いつつ距離取って立ち去る、みたいなことはあった(ぼくの中の警戒センサーが「あいつ普通のタバコせびり人(びと)と雰囲気が違う」と警報を発したため)。タバコせびる振りをして荷物や貴重品を強奪、などの犯罪被害もパリ市内では多いと聞いていたので、まぁ用心するに越したことはない。パリの街中を歩くとことほど左様に軽犯罪への警戒をせねばならず、気疲れする。

 脱線はさておき、歩き疲れてまたカフェに入る。パリの街にはとにもかくにもカフェが多い。道を歩けばカフェに当たる、といった風情である。そしてコーヒーが美味い。パンも美味い。コーヒーが美味いのは、おそらくヨーロッパの水道水が硬水だからであろう。そういえば以前ロンドンで飲んだ紅茶も美味かった。パリのコーヒーもロンドンの紅茶も、日本で飲むそれらよりも遙かに美味かったように記憶している(なので帰国後、ものは試しとエビアンを沸かした湯でコーヒーを淹れてみた。すると、バッチリとパリで飲んだコーヒーの味に近づいたことを付記しておく)。

 カフェを辞去し、しばらくまた街を歩き、今度はマクドナルドにやってきた。トイレを借りるためである。そう、ヨーロッパの街のなかでもパリは公共のトイレが本当に少ない。あったとしても有料である。そんなわけで、機内で飲んだ酒のせいでひどい二日酔いに陥っていたぼくは、酒に弱い者の常として全自動下痢便噴射装置じみた人間と化しており、一刻も早くどこかでトイレを済ませる必要があった。緊急事態が差し迫っていたのである。そしてぼくは知っていた。「ヨーロッパにおいて、綺麗な便器でウンコがしたければマクドナルドへ行け」という格言である。

 パリのマクドナルドは実に合理化が進んでいた。まず店の入口にある無人のタッチパネルで使用言語を選択する。日本語があった。その昔、会社へ入る際に受けさせられたTOEICのスコアが280点であるぼく=馬鹿は、迷わずそれを選択する。いまさらだが、フランス語など「メルシー(ドーモ)」「ノンメルシー(いらねぇよ)」「ボンジュー(こんちゃす)」「ボンソワー(おばんどす)」「オルヴォワー(さいなら)」「トワレット(便所)」「ラディシオン、シルヴプレ(お会計お願いします)」くらいしか分からない。なお大学時代に選択していた第二外国語はドイツ語であったが、こちらはこちらで「イッヒ、ビン、上田敏(私は上田敏です)」しか分からない。どちらにしろダメである。

 使用言語に次いでは、店内での飲食か、もしくはテイクアウトかを選択する。両者でどうも税率が変動するらしい。日本と同じだ。店内での飲食を選択肢、タッチパネルで注文する商品を選択し、あとはクレジットカードで決済をする。メニューを見ると、ホットコーヒーのラインナップ筆頭として小さな紙カップに入ったエスプレッソがあるではないか。何ともフランスらしい次第だなと、ぼくはそれを注文することにした。すると「こちらもいかがですか?」と何やらアイスクリームのような品々が画面上に次々とポップアップしてくる。そんな腹冷えるもんいらねぇよ。俺はいまウンコがしてぇんだよ。そういう次第で、一連のセルフでの注文プロセスを終えるとレシートが機械からペッと吐き出される。あとはカウンターで番号を呼ばれ、注文した品を受け取るだけだ。

 そう、パリのマクドナルドは日本と同じく、レシートに記載された番号と引き替えにカウンターで注文した品を受け取る仕組みなのだ。そして、ここで重大なことに気がついた。フランス語におけるアン、ドゥ、トロワ、以外の数字の読みが皆目わからないのである。参ったなと思いつつも、周囲の客は次々と番号を呼ばれ商品を受け取っているではないか。ぼくは汗だるま(全てが冷や汗)になりながらトレーにちょこんと紙カップだけが載っている商品がやってこないか集中力を研ぎ澄ませた。ウンコの我慢に集中力の約10割を使っていたので、ここで他のことに集中するということは、すなわちウンコ我慢に用いるリソースが他のことに回されることを意味する。幸いぼくの括約筋は十全なはたらきをしてくれたようで、無事にエスプレッソを受け取ることに成功した。パリでのクソ漏らしは無事回避されたのである。

 そしてウンコである。ぼくは熱々のエスプレッソを2秒で飲み干し、早速トイレへ向かうことにした。トイレの扉の解錠パスは、マクドナルドの場合レシートに記載されているという。無料でトイレを開放すると客以外の不届き者に使われたり、はたまた変なことに使われたりするからだろうか。だが肝心のパスがレシートに記載されていない。ぼくは混乱した。もうウンコが出そうなのでIQが著しく低下しており、まともな判断などはたらきようもない状態である。ええいままよと力任せに電子錠つきの扉を押すと——開いた。パスなどなかったのである。トイレの内部には個室の扉がいくつかあった。そのなかのひとつを開こうとすると、何と開かない。誰かが入っているのか? と思い扉をよく見ていると、こんな文言が記載されていた。「50セント硬貨をいれてね」。財布を見る。バスの運賃で10ユーロあまりを払った際の釣り銭があったはずだ。だが1ユーロ硬貨や20セント硬貨、10セント硬貨しか財布のなかには存在しない。詰んだ——ぼくは急いで元のホテルへ戻り、フロントのお兄さん(超ナイスガイ)にTOEICスコア280点レベルの流暢な英語(大嘘)で事情を説明し、お兄さんは「オフコース!」と気前よく応じてくれた。ホテルのトイレは超綺麗であり、すげぇ勢いでウンコが出た。

 最終的にサン・ラザール駅地下にあるスターバックスで時間を潰した。なぜスターバックスだったかというと、街のカフェでは少々長居しているだけで「注文ないの?」といった具合に即座にテーブル担当の店員がやってくるからである。追加の注文をすればいいだけの話ではあるが、何となく長時間ひとりで時間を潰すのは店に申し訳ない心持ちがして具合が悪い。となれば慣れ親しんだスタバだ、とKindleの漫画を読んで時間を潰した。しかもスタバ店舗のすぐそばには有料トイレが存在している。10セント硬貨1枚を係員のおばちゃんに渡せば気前よくウンコができる有料トイレの存在は大助かりだった。

 正午を回った頃合い、ぼくはスタバの席を立ってサン・ラザール駅の地下鉄改札へ歩を進めた。ロンシャン競馬場へ向かうためだ。そう、ついにかの悪名高きパリの地下鉄に乗るのである。用心に用心を重ね、気を引き締めて乗ることにした。曰く「切符を買う際は気をつけろ、なぜなら犯罪者の格好の標的だから」「ニセ駅員に気をつけろ、なぜなら観光客にニセ切符をつかませる詐欺師だから」「改札では背後を必ずチェックしろ、キセル乗客やスリが狙っているから」「財布やスマホを出すな、なぜなら強奪されるから」「腕時計は外せ、なぜなら金持ちと判断されスリの標的にされるから」「ブランドの袋はバッグの中に隠せ、なぜなら犯罪者の標的にされるから」「怪しい子どもの集団に近づくな、なぜなら囲まれて荷物を奪われるから」「ドアの近くに立つな、なぜならスリに狙われるから」「貴重品をポケットにしまうな、なぜなら気づかないうちにスられるから」「バックパックを背負うな、前に持て、なぜなら神業レベルのテクでファスナーを開けられるから」「1号線は気をつけろ、なぜならあそこはスリ(種目)のオリンピック会場だから」「車内の物乞いは目を合わさずにやり過ごせ、なぜならあいつらは元締めに雇われた職業物乞いだから」など評判は散々である。ちなみに郊外の低所得地域を通るようなRERはこれとは比較にならないほど治安が良くないらしい。パリ初心者は絶対乗るなとのこと。どうなってるんだパリの公共交通機関。駅から駅まで移動するだけでも軽犯罪者に警戒をしないとならない。日本のメトロでドア付近に寄りかかり、ぼけーっとツイッターで「ちんぽ」などと投稿している普段の自分からすると到底信じがたい話である。修羅の国だ。

 で、結論からいうと滞在中特に地下鉄で犯罪に遭うようなことはなかった。とはいえ地下鉄の通路は照明が少なくて暗いし、車両は引っ掻き傷による落書きが多いし、窓から見える地下鉄の路線際は一面落書きだらけだし、夕方のラッシュにもなると明らかに獲物を物色していそうな怪しい子どもの集団がたむろしてるし、ホームへ降りる階段の出入り口では小さな子どもを抱きかかえた女のひとが地面に座り込み物乞いをしているし、車内では「私は軍にX年間勤めていました」的な札を首から提げた傷痍軍人が物乞いをしているし、何事かを喚き散らしながら物乞い用のプラカップを振り回している目線の定まらない(明らかに薬物中毒然とした)骨と皮だけになった老人が乗客に絡んで回っているし、北部や東部と比べて治安がマシとされているパリ右岸中心部を走る1号線などの路線であっても、まぁこんな感じの雰囲気ではあった。ヨーロッパの景気の悪さを目の当たりにした感じである。ぼくは大阪市内に5年弱住んでいたことがあるが、海外のバックパッカーが西成の安宿をよく利用するといのは、確かにまぁそうだろうなと妙な納得感を覚えたものだ。パリ市内中心部のそこかしこで見られるような雰囲気の悪さなど、日本のどこへ行ったとしても見られるような類のものではないからだ。これは貴重な経験をしたと思う。

 そんな次第で、滞在中スリなどには最大限警戒をしつつ半ば緊張状態で地下鉄を利用したが、実際のところパリの市民は毎日何食わぬ顔で移動手段として利用しているわけだし、アジア人の見た目がゆえ標的にされやすいことを差し引いても果たしてそこまで警戒する必要はあっただろうか? という疑問は個人的に残った。とはいえかつて利用したロンドンの地下鉄より遙かに雰囲気が良くなかったことは事実だし、日本の地下鉄へ乗るときの感覚で利用できるものでは到底ない、ということもまた事実だ。なかなかに刺激的な体験だった。

 修羅の地下鉄を乗り継ぎポルト・マイヨ駅に到着する。ここからロンシャン競馬場へ無料のシャトルバスが出ているからだ。バスの行き先表示には馬のマークが描かれている。実にわかりやすい。それどころか、バス停には日本語で「無料シャトルバス」とまで書かれているではないか。2006年のディープインパクト遠征からであろうか。凱旋門賞の観客は日本人旅行者がとても多い。そのため競馬場には日本人スタッフまで配されていると聞く。何だか大森駅大井町駅から無料バスに乗って大井競馬場へ行くときのようだ。そんなことを思いながらバスに乗る。ロンシャン競馬場凱旋門賞ウィークエンドは土日の2日間開催だが、初日である土曜日はそこまで人出がないためか、悪名高い渋滞にはハマらず、スムーズに競馬場へと到着した。

 何だ、これならすぐに入場できそうだ。そう思ったわけだったが、しかしかの有名なロンシャン競馬場正門では荷物検査とボディチェックの列が長々と形成されていた。これには少々辟易とさせられた。入口にはランペイジ・ジャクソンみたいな体格のセキュリティがいて、「ムッシュー!」とか「マダム!」とか言いつつ客を整列させている。入場待ちで手持ちぶさたになったぼくは、列の脇にいるレーシングポスト(英国の競馬新聞)の売り子へ「1部ちょうだい」と小銭を出す。すると他の客たちも「俺もくれ」といった具合に売り子氏めがけて群がりはじめた。だがこの売り子、信じがたいほどお釣りの計算が遅く、手際が悪い。瞬く間に売り子周辺がちょっとした混乱へ陥ったのが面白かった。

 英国の競馬場ほどではないが、凱旋門賞ウィークエンドのロンシャン競馬場はチケットの価格により入場できるエリアに制限がある(英国の競馬場はすごい、エリアの区分けが本当に厳格だ。これこそ階級社会と思わせるに充分なものだった)。ぼくがチケットを買ったのはいわゆる「ウィニングポストエンクロージャー」、スタンド席の立ち見席であり、ホームストレッチ側にあるスタンドやパドックに出入りでき、しかもゴール前の絶好のエリアでの観戦が可能なチケットだ。そう、一般席においては最上級のチケットである。

 そしてボディチェックの列は、見たところチケットの種別で分けられているようだった。「ウィニングポストエンクロージャー」のような内容がフランス語で書かれた列が短く、空いている。「はっは、これぞ上級チケットの特権よ」とばかりにそちらへ並ぼうとすると、ランペイジ・ジャクソンじみた体格のセキュリティに「ノン、ノン、ムッシュー」と腕を掴まれ力づくで制止された。うゎちから強い、何だ何だと思っていると、どうもその列は女性専用レーンらしい。ぼくは下級チケットの列に並ばされた。見ていると、同じことを考えたのか上級チケットを手にした紳士諸兄が「ウィニングポストエンクロージャー」の列に突撃し、同じようにランペイジ・ジャクソンに止められている様が視認できた。何らかの理由で本来の運用から列形成のやり方を変えたがために、混乱が起こっているのだ。何だよ! 女性専用レーンならそう書けよ! そう思いつつ、ボディチェックと荷物検査を受けて入場した。とにかくセキュリティの数が多い。誰も彼もアフリカ系の巨漢ばかりだ。ガタイから顔までボブ・サップと瓜二つのセキュリティさえいた。ヨーロッパ競馬の年間ハイライトともいえるイベントである凱旋門賞ウィークエンド。英国、アイルランド、日本からの観戦客も多く、テロ防止なのか、まさに厳戒態勢だ。凱旋門賞にはチェコからの遠征馬であるナガノゴールドも出走するから、東欧からの旅行客もひょっとしたらいるかもしれない。

 で、念願のロンシャン競馬場である。2006年にディープインパクトが出走した凱旋門賞の中継映像を当時NHKで観て以降、いつか来たいと願っていた競馬場だ。夢が叶った瞬間である。ぼくは正門の大階段をのぼり、お下品な色合いをした金ピカの新スタンドを抜けてゆく(スタンド内部のつくりは驚くほど簡素である、旧函館競馬場スタンドのつくりがそれに近い)。すると、世界一美しいといわれる競馬場のコースが視界に入った。だが、

「縮尺をデカくした京都競馬場みたいなコースだな」

 それが偽らざる、ロンシャン競馬場に対して抱いた第一印象である。ぼくはフランス人騎手であるオリビエ・ペリエクリストフ・ルメールらの言葉を思い出した。曰く「京都競馬場ロンシャン競馬場によく似ている」 そりゃそうだとぼくは思った。あまりに見た目が似過ぎている。高低差のあるコースとは聞いていたが、スタンドから見る限り何となく平坦に見える(実際はそんなことはないのだが)。京都とロンシャン、両者に違いがあるとすれば、①芝の品種や路盤を含めた馬場の質においてロンシャンの方が遙かにタフなコースであること、②ロンシャンの方が遙かに外周距離が長いこと、③向こう正面とホームストレッチの高低差がロンシャンの方が遙かにえげつないこと、④フォルスストレートの有無。それくらいである。そういうわけでぼくは、何となく肩透かしを食らったような気分になった。というのも、かつて英国のチェルトナム競馬場をこの目で見た際の衝撃のようなものを、ロンシャン競馬場に期待していたからである。

 チェルトナム競馬場は凄かった。まずコースの敷地が日本では考えられないほどに広かった。向こう正面のバックストレッチなど、スタンドからの距離が遠すぎるあまり霧で霞んでいたほどである。そしてコース全体の傾斜がえげつなかった。コッツウォルズの丘陵地帯にそのまんま競馬場を建てているものだから、競馬場の芝コース全体が斜めに大きく傾いでいる。頭の中で一般的な競馬場のコースを3Dモデルめいてイメージし、それを10度ほどの角度でグイッと傾けると、だいたいぼくが目の当たりにしたチェルトナム競馬場そのものになる。そのため最後の直線はゴール板過ぎまで延々と鬼畜じみた上り坂が続くのだ。そうした坂があるから、ゴール板を過ぎた馬は騎手が手綱を引くまでもなく急減速して止まっているほどだった。更にコースとスタンドを隔てる埒(ラチ ※柵のこと)のつくりが粗末だった。まるで「とりあえずおっ立てときました」といった具合にグニャグニャのズビズビである。そして何よりも馬場のタフさが物凄かった。芝など生えるに任せているといった次第でボーボーだし、路盤などそこら中ボコボコの穴だらけだ。綺麗に整地され、平坦な日本の競馬場の芝コースとはまるで正反対である。と、まぁことほど次第に英国の競馬場は凄まじい。スーパーハードモード鬼畜コースでお馴染み英国ダービー(余談だが英国ダービーの別名は「ザ・ダービー」だ。まこと英国らしい話である)が行われるエプソムダウンズのコースや、これまた2000mの直線コースがあることで有名なニューマーケットのコースなども、実際生で見たら同じような衝撃を受けるのではないかと思う。それに比べるとロンシャン競馬場の芝コースは遙かに平坦なように見えたし、綺麗に整地されたトラック状のコースは日本のそれと大差ないように思われた。ボコボコの穴だらけなんてことは決してなく、「とりあえず丘陵にある芝の生育地にコース状の柵立てときました」といった英国やアイルランドの競馬場とは、まるで似ても似つかない。もしかして、フランスと英国およびアイルランドって競馬の文化が違うのか……? そんなことを思ったほどである。

 だが、そんな思い込みは実際にレースを見ることで打ち砕かれることになる。ぼくは今回のロンシャン競馬場において日本とヨーロッパの競馬がまるで別の競技であることを思い知らされた。どのレースの走破タイムも、ひっくり返るほどに遅いのだ。ヨーロッパ特有のスローペースを差し引いても、である。雨で馬場が悪化していたがゆえ馬に必要とされるパワーが桁違いになり、日本で行われる同距離のレースと比べて10秒ちかく時計が遅かったのだ。これは凱旋門賞の日本馬全滅かもな……翌日の凱旋門賞当日に至るまでこの傾向が変わらないことを確認したぼくは、そんなことさえ考えた。そしてその読みは、丸っきり的中することになるわけだ。

 競馬を知らない各位においては、日本のレースの走破タイムが同じ距離においてヨーロッパより10秒ちかくも速いのであれば、日本の競馬の方が高いレベルにあるのではないか? そう考える向きもあるかもしれない。だが違う。この走破タイムの違いとは、求められる馬の能力の違いによるものだ。平たく言うと、日本の競馬はとにかくスピードが求められる。平坦で、坂もそれほどなく、整地された水はけの良い芝コースを速く走ることを求められる。それが日本の競馬だ。

 一方、ヨーロッパの競馬はとにかくスタミナとパワーが要求される。アップダウンの激しいコースで、さほど整地されていない水はけの悪い芝コースをタフに走り抜く能力が求められる。両者はまるで正反対だ。ゆえに、ヨーロッパに短期遠征した日本の一流馬が惨敗し、反対にジャパンカップなどのレースにおいて日本に遠征してきたヨーロッパの一流馬が惨敗するような現象が発生する。これは上記の通り、競技としての方向性の違いに起因する。なおここからは持論の話に他ならないが、真の最強馬はサラブレッドとしてのあらゆる能力が突出しているため、両者の方向性の違いなど関係なく、日本でもヨーロッパでも比較的良い成績を収めている。かの三冠馬オルフェーヴルや、フランスのモンジューウマ娘でブロワイエのモデルとなった馬)などが良い例だ。ちなみにこの話は芝2000mや芝2400mなどの根幹距離に限った話で、芝2200mなどの非根幹距離では少々様相が異なってくる。こちらに関しては日本遠征時の勝ち鞍があるイタリアのファルブラヴ、英国のスノーフェアリーなどが良い例だ。とまぁ、オタク語りはこの辺にして。

 さて、フランスでの初馬券である。まずタッチパネル式の券売機で馬券を買うのだが、この際に場名、レース番号、式別、馬番を選ぶのは日本とさして大差ない。購入にあたっては現金とクレジットカードが使えるとのこと。クレカでギャンブルとは悪魔の発想だろうか。にしても、ユーロ紙幣は貧弱でありすぐ紙屑同然のクシャクシャ状態になってしまう。なのでその辺で買い物をした際にお釣りとして貰ったユーロ紙幣は往々にしてズビズビのクシャクシャだ。だから券売機に入れたところで機械に認識されず吐き戻されることが多々あり苛つく。仕方なくクレカで馬券を買った。確か2レースくらい連続で外したと思う。馬券自体もペナペナのペラペラなレシート状のものであり、グチャグチャにしてゴミ箱へ捨てるのにさしたる抵抗感が生まれない。

 続いてのレースでは現金で馬券を購入した。「高額紙幣崩そ……せや! 馬券買って崩したらええんや!」という発想からである。ぼくは50ユーロ札を券売機に突っ込み、5ユーロ分の馬券を買い、そして問題が発生した。馬券を出力してなお、一切お釣りが出てこないのである。「ワッツ?????」と混乱したぼくはタッチパネル式の画面の下方に「お釣りの45ユーロを出しますか?」といった内容のボタンがポップアップしていることに気づいた。よかった、これで釣り銭が出てくる……が、券売機から出てきたのは何らかのレシート1枚っペラのみである。 「俺の45ユーロが何かよくわからんレシートになっちゃった!!! 助けて!!!!! 救命阿ッ!!!!!!!!」ぼくはロクにフランス語も喋れんくせに有人馬券販売所の窓口に泣きついた。謎のレシートを差し出すと、窓口のおばちゃんは気前よく45ユーロを現金で出してくれた。「メルシーボク!!!」鼻水を垂らしながらぼくは言った。そう、あの謎のレシートとはお釣り引換券および、お釣りの金額分の馬券が買えるバウチャーであったのである。初見殺しやんけ!!! わかるかそんなん!!!

 なお、やはりというべきか、場内には日本人の客がそれなりにいた。各々の格好は「会社帰りのリーマンか」みたいな肩が潰れたヨレヨレのスーツを着たオッチャン、高そうな仕立てのスーツをビシッと着こなしてるグラサンの兄ちゃん、場に合わせて小綺麗な格好をした姉ちゃん、大学生とおぼしき雰囲気を発する普段着の兄ちゃん×3〜4、バックパッカーかお前みたいな格好をした俺(最悪)、といった雰囲気である。ヨーロッパの格式高いレースなんだからそれなりの格好をしないと浮く、あるいは入場を断られる、なんて思い込みもあるかもしれないが、結論からいうと「好きな格好で来い」だ。現地の客など日本のWINSにいるオッチャンと大差ない格好の者もいるわけで、一般席には端(はな)からドレスコードなどないのである(指定席のことは知らん。ぼくがチケットを取った際、指定席は既にソールドアウトであったからだ)。

 一般席であっても上級エリアはジャケット着用や襟付きシャツでないと入場できない、というのはどうやら英国競馬に限った話であるようだ。フランス競馬はそんなことはないようである。とはいってもさすがは凱旋門賞ウィークエンド。着飾った人びとが大勢いる。ビシッとスーツを着こなしたヨーロッパの人びとが売店シャンパーニュやギネスビールで宴会をしている様などを見ていると、あぁヨーロッパの競馬場だなという感じがする。そして傍らの芝コースではゴドルフィンブルーの勝負服(ドバイ首長たるモハメド殿下はヨーロッパ競馬界の大馬主であり、彼の馬に跨がることを許された騎手は、上半身真っ青の勝負服を着るのである)やクールモアスタッドの紫の勝負服が、颯爽と駈けてゆくのである。出走馬に跨がる騎手にはフランキーがいて、ライアン・ムーアがいて、ウィリアム・ビュイックがいて、ミカエル・バルザローナクリストフ・スミヨン、ピエール・シャルル・ブドー、イオリッツ・メンディザバル、マキシム・ギュイヨンと、それから日本では久しく見ていないオリビエ・ペリエもいて、武豊もいて、日本では絶対に見ることはないであろうエイダンの倅(せがれ)、ドナカ・オブライエンもいる。*1レープロの調教師欄を見るとジョン・ゴスデン、エイダン・オブライエン、チャーリー・アップルビー、アンドレ・ファーブルなど世界的名伯楽の名がずらりとならぶ。もはや夢のようだ。ぼくは卒倒しそうになった。そしてふと傍らに目を移すと、スーツやドレスを着たグループの中に背中が大きく開いたドレスを着た(ガルパンの押田が20代後半に成長したみたいな)パツキンの美女がいて、彼女の脇腹あたりからバッチリとタトゥーが覗いているのが視界に入った。カッコ良さにあてられたぼくは卒倒した。

 凱旋門賞ウィークエンド初日は負けに負け、カドラン賞(G1、芝4000m)でグリグリ大本命のディーエックスビーが伸びきれず負けるに至り、「こんなん当たるかバーカ!!!!」と最終レースを残して逃げ帰るように帰りのバスへ乗車した。この日の各馬はともかく走りにくそうに、まるで藻掻き苦しむかのようにロンシャンの芝コースを走っていたように思う。映像越しにはわかりにくいものだが、実際に生でレースを見ると馬の苦しみ具合というか、「みんな脚残ってないじゃん、バタバタやん。苦しそう〜〜〜」というのが手に取るように理解できる。あれは不思議だ。

 ロンシャン競馬場はパリ市内西方に広がるブローニュの森のただ中に位置している。ブローニュの森は日の出ているあいだこそ市民の憩いの場然とした顔を晒しているが、夜のそこはまさに赤線地帯そのものであると聞く。確かにバスの車窓からはそうした明らかに街娼らしき人びとの姿が見え、道路から外れた森の奥で何やらよくわからないものを吸引(?)している女の姿を見つけるにいたり、「とんでもねぇ都市へ来ちまった……」と思ったものだった。東京で喩えるなら夜の井の頭公園が昼間とは一転し赤線地帯と化すようなものである。凄まじい都市だ。

 凱旋門賞ウィークエンド二日目。メインイベントたる凱旋門賞はこの日に行われる。少し早めの午前11時半頃に前日と同じくポルト・マイヨ駅についてみると、競馬場行きの無料バスに乗ろうとする人びとが鈴なりになっていた。これは初日とは雰囲気が違うぞと思っていたが、予感は的中した。道中凄まじいまでの渋滞に巻き込まれ、バスは徐々にしか進まない。結局、初日において片道10分少々だった道をおよそ1時間かけて行く羽目になってしまった。そして入場門はまたしてもボディチェック待ちの列である。正門に入るとレーシングプログラムの売り子がいる。凱旋門賞当日のレープロは分厚く、つくりもしっかりとしており、有料だ。価格は確か5ユーロだったと思う。それにしても凱旋門賞当日の周辺道路の渋滞は凄まじい。比較的細い道しかない道路の輸送キャパを、競馬場に向かう車の交通量が遙かに上回ってしまうからだ。競馬をご存じの方であれば、凱旋門賞のレース映像において内馬場一面に駐車された車がひしめいている様子を見たことがあると思うが、まさに渋滞の原因はあれである。

 競馬場へ到着したのは午後12時半頃。第1レースの発走まで2時間程度ある。前日は行けていなかった低級チケットのエリアでも冷やかしに行くかと舐め腐った態度で場内をほっつき歩いていると、日本人の客たちがレース写真撮影用の場所取りをしているのが目に入った。踏み台用の小さな脚立のようなものまで置かれている。当然、現地の客や英国などからやってきた客でそんな恥ずべき行為をしている者など誰ひとりいない。ついでに言うと上級チケットエリアにもそんな日本人客はいなかったように思う。まぁこれは撮影スポット的に低級チケットエリアの方がゴール板付近の馬を良い画角で撮りやすいという理由からだろうが(低級チケットエリアはゴール板を少し過ぎた地点にあるため)、とにかくダサい。ダサすぎてすぐさま視界から外した。

 低級チケットエリアについてだが、低級チケットエリアと呼称したのが申し訳なくなるくらい良い感じの場所であった。酒や食べ物の屋台がひしめき合い、人びとはそこらで買った酒や飯を食いながら楽しげに談笑している。ぼくは適当にその辺で買ったホットドッグを食ったのだが、これがえらい美味かった。フランス特有の硬いパンにフニャフニャ状態のデカチンめかした魚肉ソーセージを挟み込み、そこに業務用のタルタルソースをぶっかけて食うのだが、これが滅法美味い。日本ではまず食べることができない味であると思った。さて、そんなこんなで時間を潰しているとパドックに陣取る司会役の男が日本語で「ニポンノミナサン、コニチワー! モスグ、ダイイチレースガ、ハジマリマスヨォ?」とアナウンスをはじめた。これぞホスピタリティである。第1レースは2歳牝馬限定戦のマルセルブーサック賞(G1、芝1600m)だ。ドバイワールドカップデーや英チャンピオンズデー、米国のブリーダーズカップデーや香港国際競走デーなど海外における他のビッグレース同様、凱旋門賞ウィークエンドは1日にいくつものG1レースが執り行われる。一方、日本のJRAはこういう開催をやりたがらない。馬券の売上が落ちるからだろうが、ジャパンカップの日くらいこういう感じのやり方にしてはどうだろうかといつも思う。その方が海外から遠征馬を集めやすいと思うのだが……。

 マルセルブーサック賞は武豊が乗るフランスの2歳牝馬、サヴァランが人気を集めていた。ディープインパクトの子どもの日本産馬、しかもフランスの名門アンドレ・ファーブル厩舎の実績馬、オーナーは武豊パトロンたるキーファーズとあって、日本でもたびたび耳目を集めていたサラブレッドだ。しかも鞍上は武豊。当然、場内の日本人客はサヴァラン応援一色といった風情になる。一方のぼくは性根がねじ曲がっているので「こいつらは昨日のレースタイムを知らないのか……? 実におめでたいヤツらだ……スピードと切れ味に秀でたディープインパクト産駒がこんな重たい馬場で弾けられるわけがねぇ……いくぞ、逆張りだッ!!!」とか言いながら馬券の券売機へと向かっていった。サヴァランの対抗格と黙されているアイルランドの2歳牝馬、アルビグナの単勝馬券を買うためだ。

 さすがは凱旋門賞当日、とにかく人が多い。かたやロンシャン競馬場の券売機は有人窓口を含めて驚くほど少ない。ただでさえ少ない馬券購入の窓口や券売機に人びとが殺到していたのである。そして何より、日本人客がちんたら何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も馬券を買うものだからそこがボトルネックになっていていつまで経っても馬券が買えない(ぼくの並んだところだけだったのかもしれないが)。ぼくは苛つき、ついには額が血管でビキビキになった範馬勇次郎のような面持ちになってしまった。

 これは英国でもそうだったのだが、おそらくヨーロッパの一般的な競馬ファンと日本の一般的な競馬ファンでは馬券に対する考え方が根本から違うのではないかと思う。そもそも英国の競馬場ではブックメーカー(賭け屋)の出店で馬券を買うのが一般的だ。ブックメーカーが売っているのは一般的に単勝複勝・イーチウェイ(単複同額)の三種類であり、そうなると必然的に一点勝負といった趣が強くなる。穴目待ちでハンデ戦単勝を全通り買いした馬券を現地客に見せた際、ガチでドン引かれたことが過去にあった。多点数買いで穴目を狙いに行くやり方は、おそらく向こうでは一般的ではないのだと思う。現地で見聞きした経験ベースの話でしかなく恐縮だが、おそらくフランス競馬ファンの馬券に対する考え方も、英国とほぼ同じだろう。多点買いをする文化はあまりないように思われた。フランスの馬券は英国と異なりフランスギャロ(日本でいうJRAのようなもの)が発売したものを買うことになるわけだが、その式別については単勝複勝馬連馬単、ワイド、三連複、三連単どころか単勝ジャックポットや四連複や五連複なんてものまである。日本以上にバラエティ豊かだ。だが、異なる組合せの馬券を何枚も何枚も買っている馬券購入者をロンシャン競馬場現地で見ることはなかった。大概が1枚買ってはい終わり、だ。払戻の列に並んだときなど、前にいたオッチャンが三連複1点50ユーロの馬券を差し出し凄まじい額の払い戻しを受けていた。タッチパネル式の券売機についても流しやフォーメーション馬券には非対応で、そういうのが買いたい人は別途マークシート使ってね、といったふうであった。

 そういうわけだから、馬連だか馬単だか三連複だか知らないが、複数枚の馬券を買うべく券売機の前を長時間占有する日本人の客の多さには開催二日目において終始辟易とさせられた。おみやげの記念馬券で凱旋門賞の馬券を買っていた人もいたんじゃなかろうか? そういうのは何とはなしに「みっともねぇな」と思ってしまうので止めて欲しいなと思ったのであった。


 レースである。馬群がフォルスストレートを過ぎたあたりで周囲の日本人客たちが「ユタカー!!!」などと無駄な叫び声を上げはじめた。そして案の定というべきか、サヴァランは重馬場に脚を取られたのか馬群の中で著しく伸びを欠いていた。かわりに大外からジワッと伸びてきたのはぼくの大本命、アイルランドの2歳牝馬……アルビグナである。残り400m地点。ジョッキーのシェーン・フォーリーが激しいアクションで馬を追いはじめる。そして「ユタカー!!!」と雄叫びを上げる日本人たちに混じり、ぼくはこう叫んでいた……「フォーリ—!!! 差せッ!!! 他の馬ブッ倒せ!!!!!!!」と。日本競馬界の努力の結実とでもいうべきディープインパクト産駒の2歳牝馬——それを応援する日本人らに混じり、アイルランドの対抗馬を全力で応援する冒涜的行為。まさに朝敵となった気分である。勝ったのはアルビグナ。2着馬との着差は2馬身半。快勝といっていい。勝ちタイムは1分41秒26だった。道中のスローペースを差し引いても1マイルのレースとしては激遅である。参考値に過ぎないが、日本の東京競馬場において同じ距離で行われた2019年10月19日の新馬戦(まだレースを走ったことのない2歳馬が出るレース)でさえ走破タイムは1分36秒9であり、更に同じ距離、同じ条件(2歳牝馬限定)で行われた昨年2018年12月9日の阪神ジュベナイルフィリーズ(その年の2歳牝馬チャンピオンを決めるレース、阪神競馬場)の走破タイムは1分34秒1である。これらと比較すれば、1分41秒26という走破タイムが日本基準にしていかに異常なものであるか分かると思う。2歳牝馬の一流馬が揃うG1レースであるにも関わらず、という点も考慮いただければ幸いだ。

 これは凱旋門賞に出る日本馬3頭ぜんぶダメだな、馬場があまりにもタフすぎる。そう思った。しかし、自らの手には既に購入し終えていたエネイブルとフィエールマンのワイドが握られていた。しかも5ユーロ分も買ってある。間違いなくこれは紙屑になる。ぼくは泣いた。せめてエネイブルとガイヤースとソットサスとフレンチキング(超大穴)の馬連ボックス、あとはできたらエネイブルとナガノゴールド(超大穴)、エネイブルとフレンチキング(超大穴)のワイド、どれかだけでも金になって戻ってきてくれたら嬉しいなと、そんなことを考えた。

 結論からいうと、最初のレースで2連勝したのちはそれまでの勢いが嘘のようにその後のレースではボロ負けした。凱旋門賞含め、である。そう、凱旋門賞を現地観戦したからには「エネイブルが負けた」という事実に触れなければならない。負けたのである。信じがたいことに、あのエネイブルが。

 エネイブル(Eneble)という英国の牝馬がいる。あの凱旋門賞の日に至るまでの生涯戦績は、実に14戦13勝。世界のビッグレースを渡り歩きながら、デビュー2戦目を除いて敗北はただひとつとして彼女の戦績欄に存在しない。獲得したG1競走のタイトルの数は10に及ぶ。2017年・2018年の凱旋門賞を2連覇し、2017年・2019年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを2年越しに連勝、そして2018年には米国に遠征しブリーダーズカップターフを勝利した、英国・愛国・仏国・米国4カ国のG1競走の優勝経歴を持つ名馬中の名馬である。つまり、競馬を知る者であれば誰しもが認める世界の芝中距離路線最強の馬に相違ない。そんな彼女の主戦騎手はイタリア人のランフランコ・デットーリ。フランキーの愛称で知られる、これまた競馬を知る者であれば誰もが認める天才騎手だ。

 ↑2019年の英国競馬上半期ハイライト、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(G1)。牡馬最強のクリスタルオーシャンとの対決。「こっから何km先まで競り合おうが絶対に抜かせない」とでもいわんばかりの粘り強さで牡牝最強馬同士のデッドヒートを制し、エネイブルが優勝した。英国のメディアをして "There are no words." あるいは "This is sport. This is horse racing."と言わしめた最後の叩き合いは、まさしく鳥肌モノである。一見の価値あり。

「Enable(可能ならしめる)」というただひとつの語のみを冠した馬が最強であるというのは、あまりに出来すぎた話であると言わざるを得ないが、しかし現実にエネイブルという馬は最強であったのだから仕方ない。どの位置からでもレースを運ぶことができ、あらゆるコースや展開に対応でき、騎手のゴーサインには恐るべき加速力で応えることが可能で、そして競り合いになれば相手に着差を譲ることが決してない。つまり死角が存在しない。幾多の名馬・名牝たちが彼女へ果敢に挑んでゆき、散っていった。そのレースぶりたるや、たとえ何万回同じレースを繰り返したとしても彼女の1着は揺るがないだろうと、見る者にそんな印象を抱かせるほどである。

 そんなエネイブルが凱旋門賞3連覇という前人未踏の偉業へ挑むことが確定した段階で、ぼくはエールフランスの往復航空券を取っていた。凱旋門賞1920年に創設されたレースだが、3連覇を達成した馬はいまだかつて存在しない。あらゆるスポーツの愛好者がそうであると思うのだが、これを逃すと死ぬまで拝むことができないであろう瞬間は、何が何でもこの目で見届けなければ気が済まない、という類の心情が存在する。グラップラー刃牙・外伝の斗羽と猪狩の戦いにおいて、勤続35年・無遅刻無欠勤のサラリーマンは午後の会議をなぜブッチ切ったのか? ぼくには彼の気持ちがよくわかる。エネイブルの凱旋門賞3連覇というのは、たとえば往年のプロレスファンにおける馬場と猪木の試合に相当するものなのだ、というのは言い過ぎだろうか。

 ともあれ凱旋門賞本番を控え、パドックでエネイブルの出待ちをする間、「え? 本当にこれから目の前にエネイブル出てくんの? ほんとに? 嘘じゃない? 騙されてない? 大丈夫……?」とかいうよく分からない心情になっていたぼくは、いよいよエネイブル(実物)が目の前へ登場するに至り、もはや我を失うほど(無言状態で)興奮しきっていたのだった。周囲の客はというと「タケちゃんマン落ち着いてる」「ね、タケちゃんマン落ち着いてるね(※タケちゃんマンとは日本からの遠征馬であるフィエールマンの愛称と思われる。『T』の文字を象ったメンコをつけているからだ)」という会話を交わす、競馬が好きなんだろうなという風情の日本人(たぶん)夫妻、「オーウオウオウ頑張れニッポン!」みたいなクソ寒いノリを晒す若い日本人男の集団、すんげぇ酔っ払ってフランキーの応援ソング? チャント? じみたものをバカデカい大声で合唱するスーツ姿の若い英国人集団などであり、そんななかぼくは生のエネイブルを至近で眺めつつ幾度とない絶頂を味わっているといった次第だった。ちなみにフランキーの応援ソング? は「オーウオウオウ、フランキー、オーゥフランキーデットー」みたいな節回しである。若めの英国人観客がこれを口にしているところを何度か見かけた。フランキーは英国人観客に大変人気である。彼がレースに勝ったときなど、英国人観客の歓声が凄まじい。

 さておき生で見たエネイブルは、とてもケツがデカかった。ウマ娘でいうと(?)バッキバキにケツが割れててケツえくぼができるタイプの女であった。そしてとても顔が整っている。美人であるといって差し支えないと思った。つまり彼女は美人で、バッキバキにケツが割れててケツえくぼができるタイプの女であったのだ。

 パドックの内側の関係者ゾーン。これからエネイブルに跨がるフランキーを取り囲むプレスの数がえげつない。尋常ならざる人だかりである。一方、ゴドルフィンの持ち馬、すなわちドバイ首長の持ち馬であるガイヤース陣営の周囲には凄まじい数の高級スーツアラブ人集団がひしめいていた。お前たちは見たことがあるか? 本物の石油王の迫力を。俺はこのとき本物の石油王の迫力を見た。お前たちは知っているか? 石油王じみたアラブの男たちは、高級スーツでバシッと決めると香(かぐわ)しいまでの色気を纏ったジェントルメンに変貌する。俺はこのとき本物の石油王の色気を見た。

 そんな脱線はさておき、パドック最後の周回である。この周回でジョッキーたちは各々自分たちの馬の背に跨がり、レースが行われる芝コースへ向かってゆく。フランキーが乗ったエネイブルが通り過ぎてゆくと、ぼくの背後に陣取っていた酔っ払い英国人集団が「ゴー! フランキー! ゴー!」とまたしてもバカデカい声で叫びだした。するとエネイブルが首を振って暴れ出したではないか。観客の声に驚いたのではないかと推察される。馬は実に繊細な生き物だからだ。大きな音などには、とりわけ弱い。これはマズいと思ったのか、フランキーがエネイブルより一旦下馬した。思えばこの時点で、エネイブル自身、普段とは何かが違うと察知していたのではないだろうかと思うが、ぼくは馬ではないので、馬の正確な気持ちはわからない。ともあれ、観客たちが抱くエネイブル3連覇への期待というのは筆舌に尽くしがたいレベルであったといまでは思う。かくいうぼくも、そうした観客のひとりだった。

 それからレースが始まるまでの記憶があまりない。いや、最後の直線に至るまでの記憶もあやふやだ。ゲートが開いた瞬間の歓声が凄まじかったことだけは鮮明に記憶している。海外の競馬というのは、パドックからコースへ出ると各馬サッと返し馬を済ませてしまい、とっととゲートへ入ってしまうことが多い。日本と違い発走前のファンファーレなどは存在しない。だから必然的に、ファンファーレに合わせた観客の手拍子などという品性下劣な行為も存在しない(ぼくはあれが大嫌いだ)。レースが発走するまでの間は、実に静かなものである。それが一転、ゲートが開いた瞬間凄まじいまでの歓声が発生する。言語の違いに伴う発声の違いからだろうか。「ワァァーーー!」というより「ヴォオオーーー!」というような、地を低く這い込むような歓声である。

 逃げ馬のガイヤースがサッと先手を取るかと思いきや、ヨーロッパ競馬のスローペースに呑まれたのであろう日本のフィエールマンが間抜けにも先団へ躍り出たところは覚えている。日本調教馬はゲートからの出脚がヨーロッパの馬と比較して速いため、遠征競馬では得てしてこういう事態が発生する(今年2019年3月のドバイシーマクラシック(G1)におけるレイデオロの惨敗などが、記憶として新しい)。そしてこの時点でフィエールマンは終わったと思った。このタフな馬場での無謀な先行策はすなわち死だと思ったからだ。スタミナをいたずらに消耗し、後方待機の馬に差されて沈むのがオチだと直観的に感じたのである。と、ここで気づいた。逃げ馬のガイヤースの馬券を持っている。しかも対抗の印まで打っている。バカか俺は。何で「先行は死」という重要なファクターに今さら気づいたのだ。こういうことを繰り返しているからいつまで経っても馬券で負け続けるのではないだろうか? 実にバカだ。

 さてエネイブルは……先行集団で前3頭の馬を虎視眈々と狙っている。フランキーは勝ちに行っているのだ。あとから考えれば「勝ちを急いだ」といえなくもない戦術だったが、しかしフランキーは後顧の憂いを断つことで自ら勝ちに行った。後ろに手控えて前の馬を捉え損なうよりは自分から動いてレースを作る、実に本命馬らしい騎乗である。ぼくのテンションは爆上がりした。ぼくの前に立ち、双眼鏡にかぶりついてレースを観ている英国人のオッチャンのテンションもついでに爆上がの様相を見せている。「カモン、フランキー……カモン!」オッチャンが力強い声で言う。ぼくも心のなかで呟いた「カモン、フランキー……カモン!」と。

 馬群がフォルスストレートを過ぎてゆき、レースは勝負所へ差し掛かる。残燃料を使い果たしたフィエールマンが逆噴射もかくやという勢いで後続馬群へ沈んでいった。菊花賞および天皇賞春という日本最長距離のG1を2つ取った馬でもスタミナが持たないか……! と、ちょっとした衝撃を受ける。ここからレースは壮絶な消耗戦へともつれ込む。先頭のガイヤースの手応えが怪しくなり、代わりに2番手のマジカルが進出を開始。3番手から2番手に上がったエネイブルはフランキーの手綱がかなり激しく動いている。馬場の外目からはエネイブルの対抗格であるフランスダービー馬ソットサスと、どこからワープしてきたのか、先ほどまで馬群後方にいたはずのアイルランドの3歳牡馬ジャパンが伸びてくる。しかし、上位争いを演じるどの馬もジリジリとしか差し脚が伸びていないように思われた。やはり馬場が死ぬほどタフなのである。全ての馬が馬場に切れ味を殺されているといった具合の、泥仕合といってもよい競馬だった。

 だがここからがエネイブルの真骨頂だ。馬場に脚を取られて伸びあぐねる各馬をよそに、鞭が入るなりいつも通りの急加速を見せる。あとは加速にまかせて一瞬で後続を置き去りにして3連覇達成……そのはずであった。そのとき、ぼくを含む観客たちの視界が何かおかしなものを捉えている。後ろから何かきてるぞ? え? 嘘でしょ? え? 何で? お前重たい馬場苦手なんじゃなかったの? お前何戦もして全くといっていいほどエネイブルに歯が立たなかったじゃん。何で? え? 何で……? おそらく、あの場にいた競馬ファンは皆同じことを思ったのではなかろうか。

 エネイブルに置き去りにされたソットサスとジャパンの更に外目……先刻まで馬群の中で藻掻いていたはずのヴァルトガイストが、信じられない脚で急加速していた。その勢いたるや凄まじく、既にセーフティリードを確保しつつあったエネイブルさえ呑み込まんとするほどであった。ぼくは思わず叫んだ。「残せ……残せ残せ残せ残せ残せッ!!!」ぼくの前に立つ英国人のオッチャンも叫んでいる。「カモーーーーーーーン!!!!!!! フランキーーーーーーーー!!!!!!! カモォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!!!! アッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!! ア"ッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」  しかしというべきか、残念ながらというべきか、ぼくとオッチャンの願いも空しく、残り50m地点でヴァルトガイストがエネイブルを交わし去り先頭へ立った。そしてオッチャンが頭を抱えたまま無言になるのとほぼ同じタイミングで、ヴァルトガイストがエネイブルとの着差をみるみる広げ、ゴール板を1着で通過した。


 

 最強馬エネイブル敗北の瞬間である。ヴァルトガイストに跨がるピエール・シャルル・ブドー(来日したとき減量できず仕方なくブーツを脱ぎ靴下で騎乗していたところ、JRAにメチャクチャ怒られたあのブドーである)は「大物、喰ったったで!」とばかりに勝ち名乗りの手を高々と挙げた。そして英国人のオッチャンはといえば、まるでお葬式のようなツラでその場に立ちすくんだまま魂が抜けたといった風情で呆けていた。

 ゴール板を過ぎた馬たちが脚をバタつかせながら急減速してゆく。どの馬もヘトヘトである様子からして、凄まじいまでの消耗戦であったことが見て取れた。日本遠征馬の大将格たるG1・2勝馬のフィエールマンは、ブービーから更に大きく離された位置で、何とトボトボ歩きながらゴール板を通過していた。彼の持ち味は鋭く伸びる一瞬の切れ味と素軽さだ。反面、タフな路盤でも苦にせず最後まで伸びるような重戦車タイプではまったくない。やはりとんでもなくタフなレースであったのである。先行しながら2着を確保したエネイブルも展開が向かない中で連対をキッチリ確保しており負けて強しといえるが、しかし負けは負けである。彼女の3連覇は伏兵によって阻まれ、連勝は12でストップした。それが現実だ。

 エネイブルが先頭に立った瞬間スタンドから沸き上がった大歓声と、そしてエネイブルが差し切られた瞬間の「え?」という妙な空気との落差を、ぼくはおそらく死ぬまでに忘れることがないと思う。世紀の大番狂わせとはこのことだ。「競馬に絶対はない」というのはよく知られた格言であるが、しかしこんなこともあるのかと思わせられる瞬間だった。というのも、エネイブルがあそこまで着差を拡げられて負ける光景などまず想像不可能であったのと、それまでのヴァルトガイストはエネイブルと対戦して全敗どころか肉薄するシーンさえ見せていなかったからである。つまり両者の勝負付けは既に済んでいるものと見なされていたのだ。それがゆえ、エネイブルと未対戦である3歳馬のソットサスやジャパンに対抗馬として票が集まっていたわけだったし、だからしてヴァルトガイストの人気はソットサスやジャパンらより下であった。そして何よりヴァルトガイストは5歳の古馬である。こんな伸びしろを残しているとは到底思えない年齢であるから、番狂わせぶりに拍車がかかるというものだろう。

 おそらくは地元の観客と思われる、フランス語を喋る観客の集団が大いに沸き立っていた。そう、ヴァルトガイストは地元フランスの馬である。反面、周囲にいる英語を話す観客たちの顔は大なり小なり沈んでいるように思われた。文字通り明暗が分かれたかたちである。まるで英仏対抗戦……いや、英仏戦争だなぁとぼくは思った。バリードイル陣営を擁するアイルランドも、まぁアイルランド島自体がブリテン島にとってのサラブレッドの生産拠点だと思えば、英国側陣営としてカウントしてもいいだろう。となればこれはまさしく英仏戦争だと、アイルランド人が聞いたらカンカンに怒りそうなことを考えつつぼんやりと表彰式を眺めて過ごした。そんな戦いにあって日本とチェコからの遠征馬は完全に蚊帳の外であり、上位争いにすら参加できていない有様である。日本が意気揚々と送り出したニューマーケット滞在組の2頭、有馬記念馬ブラストワンピースと菊花賞天皇賞馬のフィエールマンは無様なことに下から数えてワンツーフィニッシュであり、特にフィエールマンなんかは大差のシンガリ負けである。あまりに酷い負けっぷりだ。

 この辺から(エネイブル敗戦のショックで)記憶が曖昧ではあるのだが、表彰式ではラ・マルセイエーズが爆音で流れていたように思う(いや、勝ち馬の国の国歌が流れるはずなので、流れていたはずだ)。かの英国最強牝馬をブッ倒したフランスの馬の偉業を、フランス人たちはラ・マルセイエーズでもって讃えるのだ。凱旋門賞とはことほど左様に(英仏だけというのは言い過ぎにしても)ヨーロッパの芝馬たちの戦いであり、そこにスピード競馬を得意とする日本馬が付け入る隙はいまのところないように思われた。それでもなお毎年のように日本馬が無謀ともとれる短期遠征を続けるのは、惜しくも2着に終わったエルコンドルパサーが残した呪いであり、失格処分に終わったディープインパクトが残した呪いであり、また同じく惜しくも2着に終わったナカヤマフェスタオルフェーヴルが残した呪いであるように思われる。「いいじゃん、長期遠征でもいいから英チャンピオンステークスで欧州芝2000mのG1勝った方が種牡馬価値高まらない? 凱旋門賞にこだわる意味ってなくない? 俺間違ったこといってるかなぁ……」なんてことを思った段階で、もうエネイブルのようなヨーロッパの競走馬が現れない限り、凱旋門賞を現地観戦に行くことなどないのだろうな……そんなことを考えた。

 本当であれば日本の最強牝馬アーモンドアイも、今年の凱旋門賞に出走するはずであったのだ。しかし、陣営は回避という選択をした。結果論だが、正しい判断だといわざるを得ないだろう。ブラストワンピース、フィエールマンらとともに最下位争いを演じているアーモンドアイなど絶対に見たくはないからである。

 帰り道、ポルト・マイヨの駅に向かうバスの中で、フランス人の馬券オヤジ2人組がディープインパクトオルフェーヴルについて何ごとかを話し合っているのを耳にした。フランス語がわからないので、彼らが何を話していたのかはわからない。窓の外のブローニュの森では、街娼と思わしき格好をした者たちが3人ほどたむろしている様が視認できた。風景や街並みは美しいけれど、不穏な部分がそこかしこに覗く国だなぁとぼくは思った。ちなみに、エネイブルは2020年も現役を続行するそうである。

(おわり)

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(おまけ:その後)

*1:ちなみにフランキーもムーアもスミヨンもビュイックも、皆2019年秋シーズンは短期免許で日本に長期滞在し騎乗するらしい。毎日がワールドスーパージョッキーズスリーズである。それにしても、たった200円の入場料さえ払えば日本の競馬場で世界で十本の指に入るようなトップ騎手たちの共演が毎週末見放題というのはとんでもないことだ。ぼくが知る限りこんなスポーツ競技は他に一切存在しない。喩えるなら、会社や学校帰りに東京ドームや神宮球場の外野席に寄ったらメジャーリーガーが毎日ガチンコで野球をやっているのが見られるようなもんである。凄まじいことだ。