コメンタリ#4

▼ここのところ乃木坂3期生の久保史緒里がグイグイ来ている(ぼくの中で)。3期生の中において目を引く存在だなとは以前より思っていたが、ここにきて株価が連日ストップ高という感じである。近頃の自分自身を顧みつつ、「なぜ今になってグイグイ来ているのか」と考えたところ、「仕事がしんどいから」という身も蓋も無い結論に行き着いた。

▼久保史緒里といえば、真面目で美人でかわいくて、歌が上手でお芝居も達者な努力家であり、そして極度の恐がりであるあまり、少しでもビックリすることがあると「ひーん」という感じに声を上げて泣いてしまう16歳の女の子である(宮城県出身)。ブログでは想いの篭もった実直な文章を書くため、非常に好感が持てるのもポイントだ。それと作画(?)が非常に少女漫画のヒロインっぽい。現実のアイドルすげぇ、情報過積載だ、という次第であり最高である。伊藤万理華がグループを去った現在、これがぼくにとっての次なる2推しなのか……という自覚さえある(無論、乃木坂における唯一無二の推しメンが齋藤飛鳥であることに変わりは無い)。

▼ぼく個人にとって、アイドルを推す行為というのは自分の人生と関わりの無い他者(メチャクチャに顔が良く、能力が高く、およそ想像も出来ない人生を歩んでいる(凄まじい競争率のオーディションを勝ち抜いている時点で能力が高いのは明らかだ。ここに気づけない抜け作は、真の男の国メキシコにおいては格好のカモとされ、いずれ屍となり、路傍に打ち棄てられるうんめいにある))を推す行為に他ならないわけであって、そこには多少なりとも「崇める」だとか「リスペクトする」だとか、そういった類の文脈が存在する。

▼久保史緒里はちょっと違った。つまりどういうことかというと、「崇める」だとか「リスペクトする」だとか、そういったあれこれの前段として「この世に存在するだけで癒やされる……」みたいな感情がぼくの内面において発生した。これにはびっくりした。「癒やされる……」というのは、好きなアイドルに対する感情としては世の中においてごく一般的なものにすぎないと思われるが、ぼく個人はアイドルに対してそんなことを最初から求めてなどいなかったし、何より「癒やされる……」という感情は、「崇める」だとか「リスペクトする」だとか、そういったあれこれとはあまりにかけ離れた位相にあり、自分自身結構困惑し、遂には「なぜか」と自問するに至った。

▼彼女の存在が、日々の仕事で疲弊したぼくの心の隙間にスッと入り込んできたというのが正確なところだろう、ということが自問するうちにわかってきた。単純な話、頑張ってる"良い子"を見るとほんわかした気持ちになって応援したくなるし、頑張ってる"良い子"を応援しているうち、まぁ世の中相応に辛いわけだけれど、彼女も頑張ってるんだからぼくも頑張らなあかんな、という気持ちになり気力がみるみるうちに回復してくる。

▼頑張ってる16歳の女の子を見て自分も頑張ろうという気持ちになる……何て人間っぽい反応なんだ……と思いつつ、そういった人間らしい心の持ちようを呼び覚ましてくれる存在というのも、またアイドルなのだなあ……という気持ちにもさせられる。実に良い話だ。

▼実社会でバリバリ金を稼がなければ死んでしまうアラサーの独身サラリーマンが16歳の女の子(自分の人生と関わりが無い)の存在を心の拠り所にしているという事実は、ある種の視点に立つと結構グロテスクなのかもしれないとも思う。まぁ、そういう見方もあって然るべきだろう。が、拠り所なんてそれこそ人の数だけあるわけで、少なくとも自分で金稼いで生きてるんだから好きに生きさせてくれ、ついでに自分の拠り所も好きに設定させてくれ、という感情も無くはない。

▼坂道のオタクになってそろそろ1年になる。きっかけは欅坂46初ワンマンライブの映像をAbemaTVで観たことによるものだが、そもそもなぜ欅坂46の初ワンマンを観ようと思ったのかというと、デレマスの同人誌を書いていたぼくにとって、「本物のアイドルのライブってどんなのだろう……」という強い興味があったからに他ならない(「有明コロシアム、かかってこい」の番宣CMが異常に格好良かったのもあるが)。ちなみに、当時ぼくが想定していた「本物のアイドルのライブ」と欅坂46のライブが、プロダクトコンセプトそのものからして全く異なるものであることに気づくのはその後の話だ。

▼本物のアイドルのことを知れば架空のアイドルのディティールをもっと詰めて書くことができる。当時のぼくはそんなことを考えていた。が、そんなことはなかった。結論からいうと全然役に立たなかった。

▼以下、それでもなお役に立った情報を列挙する。アイドルグループを統括し意思決定権を有する「プロデューサー」という役職は物凄くエラい(※追記:大事なことを書き漏らしていた。大規模なプロダクションにおいては、の話だ)。一般企業に勤める平社員の感覚的には役員クラス以上、それで大袈裟なのだとしたら役員代行クラス以上を想定すれば良いだろう。なおこの感覚は実際の「プロデューサー」なる役職が一般企業においてどの役職に相当するのか、という話とイコールではない。あくまで感覚の話、平社員から見た上役までの距離感にまつわる話である。そんなわけで拙著『Ordinary346』において「統括者(プロデューサー)」の男の年齢設定をかなり高めに設定し、役職も室長クラスにしたのは大正解であったと思う(まぁ、あそこでいう「統括者」とは一種の暗号名にすぎないが……)。三次元アイドルを知る前の自分が思いついた設定であるので、運が良かったという他ない。従って、フィクションとはいえタレントマネージャー程度の描写を施された人間が「プロデューサーさん」と呼ばれているとめちゃくちゃな違和感を覚えるようになってしまった。フィクションはフィクション、だとしてもだ。

▼何らかの火種を蒔こうという意図は一切無いことを強調したい。これは単に、デレマスの同人屋が坂道に転んだ結果どう感覚が変わったか、という一例程度に捉えて貰いたい。ぼくの感覚が全てだ、というつもりも毛頭ない。それに何より、フィクションはフィクションとしてあるべきだ。それでもなお、現実を知ったことで少しだけ感覚が変わった同人屋(二次元と三次元を兼任しているオタクは珍しい、とよく言われる)がいる、とだけ捉えて貰いたい。

▼10代の二次元アイドルを年相応に描く必要は一切ない。ましてやわざわざ幼なめに描く必要など皆無に等しい。アイドルになるような人は、普通の同年代の子よりも皆少しだけ、あるいはかなり大人びているように思う(まぁ、当然例外もあるが、それはそれとしてだ)。あくまでぼくの感覚だが。

Twitterに書くと不興を買うだろうな、言わんとこ、と思って黙っていた部分を一気に書いた。とはいえ上記はいずれも、より真摯に二次元アイドルと向き合って同人誌を作るために必要だと思って得た知識に由来する認識であり、視点を変えて対象を見つめ直すことで見えてくる物事は無論のこと多々あり、『Ordinary346』2巻と3巻の執筆時には、描写対象となる二次元アイドルの人生について、色々と今までに無い視点で考えることが出来た。「こんなアイドルドラマありえねーよ、ギリギリあったとしてもNetflix配信限定では……(放送コードNGはおろか、事務所NGとなるであろう描写がてんこ盛りなので)」という気づきがあったとしてもだ(ここは笑うところです)。

▼『宮本フレデリカさんのこと』を書いた当時の自分は上記の観点が一切ないので、いま読み返すと恐らく色々と(逆に)新鮮だろうな……みたいな予感がある。いまのぼくには書けない何かがあると思うので、自分にとっても貴重な1冊といえよう。