【レポ】欅坂46の全国握手会in名古屋に行ってきた話(中編)

 

 アイドルは生きた人間だ。何を当たり前のことを、と思う向きもあるかもしれないが、しかしアイドルを推すということはすなわち自分の人生と直接の関わりを持たない人間を推す行為に他ならないのであるからして、アイドルは生きた人間であるという認識はアイドルを推す上で殊更重要な観点になってくるのではないかとぼくは思う。生きた人間には然るべき敬意を払う必要があるからだ。

 

 当たり前の話にすぎないが、彼女たちアイドルにはそれぞれの人生があり、家族があり、友人がある。喜ぶときだってあれば、悲しむときだってあるだろう。そういった意味でいえば、彼女たちの在り方は、人間であるという一点を以てぼくらの在り方と全く同じものであるといえる。アイドルはアニメキャラでもなければ歌って喋る玩具でもなければ、ましてや株券でもない。ぼくらと同じく人権を享有し、物理的身体を伴う人間に他ならないのだから、アイドルを推す行為はすなわち生きた人間を推す行為に相違ないとぼくは思う。

 

 よくよく考えてみれば、はじめに握手会へ行こうと思ったのは、彼女たちが人間であるという事実を確かめに行きたいというのが動機だった。血が通った人間であるアイドルへ直に触れ、直に話しかけることで、ぼくはそうした自分の考えが間違っていないことを確かめたかったのかもしれないと、握手会が終わったいまになってはじめて思う。結論からいえば、平手さんも、上村さんも、渡辺梨加さんも、その他のメンバーの方々も、当たり前かもしれないがみな等しくぼくらと同じ血の通った人間だった。そんな事実の確認を通じてぼくは思った。彼女たちアイドルは人間だ。だからぼくは、敬意を持って彼女たちアイドルを推そう、と。

 

 さておき、名古屋全握のことである。前回のレポにおいて、ぼくは午前中のミニライブを観覧したときの様子を書き綴った。この記事はその続きなので、できればここから先の内容は下記の記事を読んだあとで目を通して頂きたい。

 

 

 正午である。ミニライブの会場から規制退場に従いぞろぞろと出口に向かうおたくたちの群れに押し流され、ぼくは人々がひしめくエントランスホールに佇んでいた。ツイッターのタイムラインを確認すると、会場には数名の知人がいることが見て取れた。事前に名古屋全握へ行くと明言していた知人たちだ。朝待機列で見かけた暴力ちゃんのミニライブ観覧席はEブロックだったらしい。つまり最後列のブロックだ。初全握のぼくがAブロックだったのは相当の幸運に違いなく、次の5thシングルの全握では今度はぼくがEブロックに当たることもあり得るわけであって、まぁこればっかりは運だよなぁ、という気持ちになり、次回からはいつ後列ブロックになっても良いよう、必ずオペラグラスを準備して全握ミニライブに臨もうと決意した次第である。

 

 握手会の開始は十三時三〇分からであり、開場は十二時四十五分である。軽く昼食を摂ったぼくは、隣の展示場で行われているリフォームフェアに訪れた家族連れや老夫婦が、半ばギョッとした面持ちでアイドルの握手会に訪れたおたくたちの群れを見遣るさま(めちゃめちゃ良い)を眺めつつ、朝と同じように握手会待機列が形成された駐車場へ出て、降雨に耐えるおたくたちの行列と一体になった。つまり朝苦労して入ったミニライブ会場の出口から、ぼくは自ら進んで外へと出た。これが大きな過ちであったことに気づくのはそれより数時間後のことであるが、このときのぼくは握手会参加の段取りに関してあまりに無知であり、その不手際を責めるのはあまりに酷だ。だから責めないで欲しい。

 

 さて、またしても立ちんぼのまま待機が続く。雨はまだ降り続いており、列は朝のときと同じく遅々として進まない。十三時三〇分。握手会開始の時間だ。列の進みが徐々に早まり出すと同時に、雨の勢いも緩やかに弱まっていった。会場は午前中のミニライブと同じく第二展示棟を使うとのこと。入口ではセキュリティチェックの係員が入場者の手荷物を確認し、金属探知機で凶器となり得る物品の有無を調べている。またペットボトルに入っている飲料を所持していた場合は、その場で入場者が中身をひと口だけ飲んでみせることが要求される。要は、過酸化水素とアセトンの混合物質に硫酸を加えた爆薬をペットボトル飲料に偽装させるTATP爆弾などを警戒したテロリズム対策である。

 

 ぼくはクラブによく行くいわゆるパリピ、もうちょっとオーセンティックな言い方であればクラバーなのでこの手のセキュリティチェックには慣れている。その日のぼくはageHaの屈強なセキュリティ並みの厳しさを覚悟していた。ゆえに手荷物の中身は可能な限りシンプルにし、ポケットのなかにある財布も携帯も鍵もライターも煙草もすべて取り出した状態で待機していた。が、鞄の中身をチラ見され、金属探知機で腹と背中をそれぞれ〇・五秒程度なでられただけで「はいOKでーす」の声とともに握手会会場のなかへ入ることを許可された。しつこいボディチェック程度は覚悟していたので肩透かしもいいところである。

 

 パリピもしくはクラバーである自分から見れば甘々のセキュリティチェックではあったものの、ないよりはましなのは確かであり、セキュリティチェックをやると事前告示しておくことでの危険物の持ち込みを抑止する効果もあるのだろうと思ったものの、本気のテロリズムに対する抑止に対して、この程度のチェックはほぼ効果を発揮しないだろうという良くない思考がぼんやりと浮かんだ(こうした握手会のセキュリティチェックがなぜいまのようになったのか、という歴史は重々承知しているつもりだ)。

 

 まぁ、セキュリティチェックを厳しくしたところで入場待機列を捌く速度が低下する問題が別途発生するのは目に見えているので、あくまで両者の塩梅を考慮した上でのチェック体制なのだろうな、というところでぼくの思考は停止した。なぜならばそのときのぼくはアイドルと握手すべく即座に行動を起こさなければならず、余計な思考に構っている暇などなかったからだ。

 

 握手会の待機列はぜんぶで十五あった。第一レーンから第十五レーンまで、欅坂46けやき坂46のアイドルがたち二人一組になって次々と押し寄せるファンの列を捌いていくというシステムだ。各レーンに対するアイドルたちの振り分けは下記の通りとなる。

 

【全15レーン】

●第1レーン:長濱ねる・東村芽依

●第2レーン:渡邉理佐高本彩

●第3レーン:平手友梨奈・佐々木久美

●第4レーン:守屋茜佐々木美玲

●第5レーン:志田愛佳・柿崎芽実

●第6レーン:石森虹花・加藤史帆

●第7レーン:長沢菜々香・米谷奈々未

●第8レーン:小林由依・尾関梨香

●第9レーン:織田奈那・小池美波

●第10レーン:鈴本美愉齋藤冬優花

●第11レーン:佐藤詩織・齊藤京子

●第12レーン:上村莉菜・潮紗理菜

●第13レーン:土生瑞穂・原田葵

●第14レーン:菅井友香・井口眞緒

●第15レーン:渡辺梨加・高瀬愛奈

 

今泉佑唯は欠席となります。

※影山優佳は学業の為欠席となります。

 

 

 

 ぼくはミニライブで握手券を一枚使ったため、残る握手券は三枚であり、従って一レーンにつき消費する握手券が一枚であることから手持ちの握手券で並ぶことのできるレーンは合計三つまでだ。手持ちの握手券を全て使い切って並ぶのに疲れたらそのまま帰るもよし。はたまた別のレーンにも行きたい、もしくは同じレーンをもう何周かしたいと思えば会場物販の初回限定版シングルを買い、その中身に同梱されている握手券を引っ剥がして使えば良い。会場内で握手券の買い足しが出来るのだからまことに良い商売である。大人に気持ちよく金を使わせるコンテンツほど良いものはないとぼくは思う。

 

 初手に並ぶレーンははじめから決めていた。第三レーン。平手友梨奈さんと佐々木久美さんのレーンである。無論、かの平手友梨奈さんとの謁見を果たすのが目的である。ぼくは第三レーンの待機列へ向かった。そのときはじめて、ぼくは自分自身が極度に緊張していることに思い至った。平手友梨奈さんとぼくが握手? マジで? いいのか、そんなことが許されてしまって……。わからん……なんも……。

 

 第三レーン最後尾へ到着する。すさまじい人、人、人である。やはり世間における欅坂46の代名詞・平手友梨奈さんともなればここまでの人気なのかとぼくははじめて実感する。ざっと眺めただけでも一〇〇人、一五〇人、いやそれ以上の人間が並んでいるように見えた。だが、詳しい知人によれば関東開催の全握はこの比ではないらしい。名古屋と京都(つまり地方)の全握は平手友梨奈さんであっても二〇〜三〇分程度並べば握手できる、とのことであって、金のある大人のおたくは関東開催ではなく名古屋もしくは京都での開催を狙うとのことだ。地方開催は人が少ないから、というのがその理由なので、転勤で大阪に住まうぼくはこの国における東京一極集中の構図に想いを馳せる。アイドルは世の中ににおける何かしらの在り方を映す鏡だとぼくは思うが、アイドルはこの国の在り方さえも映すというのか。そんな想いに囚われているうちに、列はみるみるうちに動いている。そのペースは異常なほど早い。そうこうしているうちにあっという間にぼくの並ぶ位置は平手友梨奈さんがいるであろうブースの入口へと近づいていった。

 

 全握の平手友梨奈さんについて、とりわけ「剥がし」が早いということは知っていた。知らない人向けに説明すると、「剥がし」とはアイドルと握手しているおたくを引っ剥がして握手待ち列の回転を促す係員のことである。制限時間を過ぎると「お時間です」と言っておたくの肩を叩いたり、ときには両肩をガシッと掴んで文字通り物理的に引き剥がしたりするのがその役割だ。まるで受刑者を面会者から引き剥がす刑務官のような存在である。アイドルのいるフェンスの向こうの世界が娑婆で、ぼくらがいるこちら側の世界が塀の向こうの世界なのだとしたら、一体ぼくらは何の罪で収監されているのだろう。そんなよくわからないことを考えていると、平手友梨奈さんとの握手待ち列の進み具合が急加速した。

 

 何が何だかわからないうちに平手友梨奈さんがいるブースの入口が急速に接近してくる。握手は衝立に仕切られたブースの中で行われる。ブース入口には空港の手荷物検査場じみた手荷物の預け先があり、手ぶらになったおたくは握手券を渡した係員に手のひらのチェックを受け、ブースのなかへと入場する。ブース内ではアイドル二名がフェンスの向こう側から愛想を振りまき、おたくと手を握り合い、一秒前後のコミュニケーションを交わし合い、そしておたくはといえば「剥がし」の係員に促されるようにしてブースの出口へ押し出され、預けた手荷物を受け取ってレーンから出る。

 

 そのときのぼくは異常な光景を目の当たりにしていた。台から吐き出されるパチンコ玉のごとき勢いで、平手友梨奈さんのいるブースの出口から夥しい量の人間が次から次へと出てくるからだ。レーン出口へ向かう見知らぬおたくが、「早ぇ!」と半笑いで叫んでいた。「剥がし」があまりに早いという意味だろう。早い早いとは聞いていたが、ブース出口から吐き出されてくる人間の勢いとペースは常軌を逸して余りある。いくら何でも回転が早すぎはしないか? とぼくは思った。これは絶対に、何かがある。

 

 声が出ないのだそうだ。誰が、というと平手友梨奈さんがである。その場でインターネットを駆使し、急いで理由を調べたためわかった事実だが、要するにツイッターのツイート検索欄に「平手」とだけ打ってそれらしい記事や言及を探ったにすぎない。その日の平手友梨奈さんは喉を痛め、声が出せないとのことだった。レーン入口にその旨が書かれた張り紙があったそうだが、ぼくの記憶にはなかった。平手友梨奈さんとの握手を前に極度の緊張状態にあったため、その張り紙が視界に入らなかったのだろうと思う。

 

 喉を痛め、声が出なくても、それでも握手会を休まないのは何かすごいな、とぼくは打ち震えた。得体の知れない何か凄まじい執念のようなものを感じ、あのときのぼくは一瞬だけ恐怖したのを覚えている。それが平手友梨奈さんの「休まない」という行動についてのものなのか、そうしたコンディションの彼女を「休ませない」運営に対するものなのか、いまになってもわからない。まぁ、誰がそう決めてどういう仕組みで本決定に至ったのか、外部からまるでわからないため考えたところで詮のない話ではあるが、少なくともあのときのぼくは一瞬だけ恐怖した。何かぼくの知らない、得体の知れないルールに基づいてこの全握という場は動いている。少なくともそれだけは直観した。そしてその直観は、あの日全握を通じて覚えたひとつの感想へと結実してゆくのだが、その話はまた最後の方で。

 

 手荷物を預け、係員に握手券を一枚渡す。手のひらのチェックを受けて、衝立に仕切られたブース内へと足を踏み入れる。マジで? あの平手友梨奈さんと握手すんの? え……マジで……? ぼくは緊張を通り越して動揺していた。心臓がバクバクと大きな音を立てているのがわかる。ぼくは平手友梨奈さんのことを心の底からリスペクトしていた。アイドルとして好き、というのとは少し異なる文脈だ。そう、ぼくは物書きの端くれとして平手友梨奈さんのことを本当に尊敬していたのだ。もはや崇拝していたといってもいい。パフォーマンスにおける「表現者」としての平手友梨奈さんの凄まじさを知っているからこそ、これから彼女と握手するという行為に対するわけのわからなさみたいなものが先に立った。まるで意味がわからない。ぼくなんかが? 握手を? 本当に?

 

 そしてブース内でいよいよ握手である。眼前一メートル以内の距離に、けやき坂46の佐々木久美さんが立っていた。目線が男性のぼくとそれほどあまり変わらない。背の高い綺麗な方だな、と思った。

 

 そうだった、全握は二人で一レーンだから、平手友梨奈さんだけでなく、ひらがなけやきの佐々木久美さんも第三レーンのブースのなかに立っているのだ、ということは無論事前にわかっていたことであって、佐々木久美さんにかける言葉ははじめから決めていた。道中の新幹線で直近の佐々木久美さんのブログを読みまくり、話すネタを探していたためだ。裏を返せば、わざわざネタを探さなければならないほど佐々木久美さんのことを知らなかったということであり、ひどく情けない。漢字欅ばかりじゃなくて、ひらがなけやきの方も今後に備えてちゃんと真摯にやっていこうな。心の中で、ぼくはそう堅く決意したものだった。

 

 佐々木久美さんがぼくの方に視線を向けた。握手をするためである。ぼくは彼女に手を握られた。佐々木久美さんの瞳がじっとぼくの目を見据えている。そうだ、声をかけなければならない。

「全国ツアーとタップダンス頑張ってくださいね!」

「うん!!! 頑張るね!!!」

 すぐ目の前から発せられる佐々木久美さんの声音は、想像を遙かに上回るエネルギッシュさだった。おそらくは第三レーンにやってきたおたくたちの大半から言われたであろうベタもベタも大ベタの一言に対し、溢れんばかりの笑顔を浮かべ、触れた手からも伝わってくるようなエネルギーで「うん!!! 頑張るね!!!」と元気に答える彼女は何者なのか。きっと、アイドルに選ばれるような人はその裡に内包しているエネルギーの総量が人よりも多いに違いない。そんなことを思っていると、おたくの流れに押し出されるようにしてぼくは平手友梨奈さんの眼前へ放り出される。手を軽く握られた。あの平手友梨奈さんに。

 

 思ったよりも背丈小さいな。わかってはいたけれど。あと、目、めっちゃ大きい。佇まいが綺麗だ。そこに立っているだけで美しいってすごいな。そんなことを思った。血の通った手は当然のごとく温かい。当たり前だ。彼女だってぼくらと同じ人間なのだ。

「あ、あの、平手さんの表現が……」

 ぼくは意を決して伝えたかった想いをぶちまける。と、そこで、

「お時間です」

 剥がしの係員に肩を掴まれる。平手友梨奈さんに声をかけた瞬間から剥がされるまで、体感にして一秒未満の出来事だった。

「……すごく好きです! 応援してます!」

 残りの台詞を急ぎ早口でまくし立てながら、ぼくはブースからまたしても押し出されるように吐き出された。手荷物を受取りレーンから出る。そして思った。

 

 何だったんだ? 今のは、と。

 

 間近で見たはずの平手友梨奈さんの顔貌がぼくの記憶のなかでぼやけていた。彼女と握手をした実感はない。軽く手を握られて、その手が握りしめられる前に剥がしの声がかかる。よってぼくはちゃんと彼女に自分の想いを伝えられた実感はなかったし、正直にいえば、握手をしたどころか彼女の目の前をスッと通過した程度の実感しかない。一秒未満の剥がし(体感時間)で、かつ彼女自身が自分からコミュニケーションを取れないコンディションにある以上、まぁそんなもんだろう、くらいにぼくは思った。ちゃんとしたコミュニケーションを取りたいなら個握しかないのだろうなぁ。

 

 ぼくはレーンを移動することにした。おたくでひしめく会場を歩く途上、記憶のなかでぼやけた平手友梨奈さんの顔貌を何度もなぞり直し、失敗し、ひいては佐々木久美さんの顔貌もはっきりとしなかった。はじめて見た生の平手友梨奈さんに関しては「思ったよりも背小さいな。わかってはいたけれど。あと、目、大きい。佇まいが綺麗」といった抽象的な印象しかなく、はじめて見た生の佐々木久美さんに関しては「背の高い綺麗な方だな。あとすごいエネルギッシュ」といった、やはり抽象的な印象しか残っていなかった。

 

 理由はすぐにわかった。あまりに握手待ちの回転が早いため、おたくはほぼ歩きながらパッ、パッとアイドル二人と素早く握手をしなければならないためだ。どういうことかというと、一瞬で剥がされる全握のシステムにおいては目の前のアイドルの顔貌を視認するのに動体視力を使う。つまり充分な時間立ち止まった状態でアイドルの顔を見る余裕がない。そういうことである。

 

 まずいなぁ、と思った。ぼくは動く「画」を記憶するのがとても苦手である。具体的にいうと、観た映画のワンショットを脳内で描き直すことができない。従って観たばかりの映画を視覚的に語ることができず、繰り返し観ないと「画」の感想を言うことができない。そういうわけだから、素早く動きながらアイドルの顔貌を視認し、記憶することはぼくにとってきわめて難しい作業となる。

 

 大丈夫なのか。そんなんでやれんのか。そんな一抹の不安を抱きながら、ぼくは真っ直ぐに第十二レーンへと向かった。上村莉菜さんと潮紗理菜さんのレーンである。二番目に並ぶのはここだと最初から決めていた。なぜかというと上村莉菜さんがとても素敵だからである。説明おわり。おぜりなは平和であり、愛であり、祈りである。従っておぜりなの構成要素たる上村莉菜さんは最高である。あるレーンに並ぶにあたって、果たしてそれ以上の理由が必要だろうか?

 

 ぼくは第十二レーンの最後尾に辿り着いた。平手友梨奈さんのいた第三レーンに比べればさすがに並んでいる人が少ない。列の進みは早くないが、まぁ待ち時間は概ね一〇分程度といったところだろう。と、そこでぼくには周りを見られる程度の心の余裕が生まれていた。徐々に場に慣れてきたということだ。

 

 さて、レーンの待機列に並んでいるおたくだが、男女とりまぜて若い人が多い。朝の待機列でもそうだった。高校生以下と見受けられる子がそれなりにいる。立ちんぼになって並びながら、開いた古文の参考書に赤色の半透明の下敷きを当てている受験生とおぼしき男の子を見かけたときには思わず頬が緩んだ。きっと真面目な子なのだろう。それでも彼は受験勉強の合間に握手会に赴くほどに欅ちゃんのことが好きなのだ。そんな彼に愛される欅ちゃんの在り方を思い、とても敬虔な気持ちになった。

 

 レーンの待機列がじりじりと進んでゆく。不思議なほど緊張はなくなっていた。人生ではじめてのアイドルとの握手を経て、アイドルと握手するための心理的ハードルが下がった結果なのだろうと思った。何事も経験である。もう少し待てば上村莉菜さんとお話しができる。緊張はほとんどなく、むしろそのときのぼくは上村莉菜さんとお話しすることを楽しみにしていたほどだった。

 

 上村莉菜さんの好きなところを挙げればきりがない。千葉のブハブハにはじまりポンコツなところと他メンバーのブログから垣間見える優しいお人柄とか、運動音痴だけどパフォーマンスが一生懸命全力なところとか、年下のメンバーにババァ呼ばわりされしまいには志田愛佳さんに「ドタキャンリナババァ」呼ばわりされるところとか、あとライブのバックステージ映像とかで彼女が画面を横切ると「あっ! 美少女がいる!」的な感じになって大変脳に良い。と、まぁ当然アイドルは生きた人間なのでことほど左様に情報量が多い。

 

 そんなわけで、上村莉菜さんと握手およびお話しするにあたり、ぼくは喋ることを事前に決めておく必要があった。彼女を取り巻く情報のなかから、剥がされるまでの一秒前後の時間(想定)で伝達可能な「伝えたいこと」を探すのだ、と握手会前夜のぼくは考えたのだ。そして当日。既にネタは決まっていた。あとは実際に彼女の目の前で自分の伝えたいことを話すだけだ。

 

 係員に握手券を一枚渡してブースに入る。まずはじめ。潮紗理菜さんが目の前にいた。彼女と握手をし、ぼくは言った。

Zepp Nambaの公演と、あとタップダンス頑張ってください!」

 さっきのネタの使い回しである。最悪だ。今後はもっとひらがなけやきを頑張っていきたい。だがそんなワックなファンであるぼくに対し、潮紗理菜さんは輝くような笑顔でこう言ってみせたものだった。

「わ~!!! ありがと~!!! タップダンス頑張るね!!! タン、タン、タタン」

 その場で元気に足踏みをしながら潮紗理菜さんは「えへへー」と笑う。天使か。ぼくは一瞬で潮紗理菜さん(かわいい)のことが大好きになってしまった。

 

 そして、潮紗理菜さんに「ばいばい」と手を振られると、ぼくは上村莉菜さんの前に放り出された。ぼくは眼前にある上村莉菜さんの顔貌を直視する。小さい!!!!!! 身長一五二・五センチ、『ちびーず』の片割れであることは伊達ではない!!! そしてお顔の造形がめちゃめちゃ繊細だ!!! さすがアイドルになる方は繊細なつくりをされている……。そんなことを思いつつ、ぼくは上村莉菜さんと握手をした。そのときの様子は下記の通りだ。

 

 

 あまりに最高裁判所だ、助けてほしい、とぼくは思った。あまりにも体験として強烈すぎる。上村莉菜さんに手を振られ、レーンの出口をフラフラと歩きながら、ぼくは「大変な思いをしてしまった……」という感想ひとつを持て余し、あれ? そういえば剥がし緩かったな……上村莉菜さんとの最低限のコミュニケーションが成立していたぞ? ということにようやく気づいた。その理由はのちほど識者の知人により明らかにされることになる。

 

  ちなみに上村莉菜さんが描かれていたブログの棒人間とはこちらである。めっちゃ良い。漢字の成り立ちっぽくて味があり、良くないですか?

 

 

 それにしても、潮紗理菜さんはエンジェルだったし、上村莉菜さんは力の抜けた自然体な感じでやり取りをされており、またお人柄が垣間見える心のこもった素敵なご対応で非常によかった。これが、アイドルか……握手会にくる皆に対してあんな感じでひとつひとつ心を込めて丁寧に対応されているとしたら、もはやリスペクトの念しかありえない。ぼくはそう思い、それにしても上村莉菜さんは素敵だったな……と五億回ほど心のなかで繰り返し唱え、あとで物販に行き上村莉菜さんの推しタオルを買おうと思った。ライブなどに行くことがあれば、客席から高々と上村莉菜さんの推しタオルを掲げるのだ。欅坂46におけるぼくの推しメンが決まった瞬間である。

 

 そうした上村莉菜さんへの反応は自分でも意外だった。なぜなら、ぼくの推しメンはあくまで平手友梨奈さんだとぼく自身が思っていたからであって、上村莉菜さんはあくまで「素敵なお人だなー」と思っているメンバーのひとりにすぎないと思っていたからであった。ツイッターのアイドル用鍵アカウントのタイムラインでは、知人が「はい、ベレイちゃん(※ぼくのあだ名、ベリカ・ベリサ・ベレイというわけである。ベレイって誰だ?)上村さん落ちです」という旨のことをツイートしていた。そうか、これが「落ちる」というやつか。既に理解しかない。助けてくれ。救命阿!!!!!!

 

 まぁよくよく考えてみれば平手友梨奈さんはぼくにとって箱推し観点での推しに他ならず、彼女に対する強いリスペクトの念は、欅ちゃんのパフォーマンスをセンターとして引っ張る「表現者」としての彼女の在り方にある。アイドルをアイドルとして推すという観点から見れば、まぁアリといえばアリなのだろうが、もうちょっと違う観点から欅ちゃんの推しメンを決めたいなと思っていたのは事実だった。そこに上手いこと上村莉菜さんがピタリと嵌まった。何というか、そんな感じである。

 

 そして、ぼくの手元には握手券があと一枚だけ残されていた。時刻は十五時を少し回ったところだった。握手会終了は十八時である。入場してからは既に一時間ちかくが経過している。高速剥がし高回転レーンだったとはいえ、平手友梨奈さんのレーンに並んだ時間が長すぎた。さて、ここからどう動くか、と思考をグリグリと巡らせる。何だこれ。アイドルの握手会めっちゃ楽しいな……。ぼくの脳からはよくわからない類の汁がドバドバ分泌されはじめていた。瞬間、「キャバクラにハマる類の男の気持ちが刺激される可能性があるイベント内容であり、従ってキャバクラ気分できてる来場者もまぁまぁの割合でいるんだろうな、グロい……」というあまりにも最悪の感想が脳裡をよぎり、せっかく上村莉菜さんの素敵なお人柄に触れて暖かい気持ちになったというのにマジで最悪だと思い、死にたくなったし、実際死のうと思った。

 

 あまりにも長くなりすぎたので後編に続きます。

 

 

渡辺零 拝