【レポ】欅坂46の全国握手会in名古屋に行ってきた話(前編)

 

 アイドルの握手会に行こうと思った。これまでの人生、アイドルにハマったことなんてただの一度もなかったぼくが、あろうことかめちゃめちゃアイドルにハマったためだ。欅坂46に「転ぶ」のは一瞬だった。忘れもしない。二〇一七年二月二十五日。何の偶然か、AbemaTVで放映されたワンマンライブを見たぼくは、この2ヶ月半を経てすっかり欅坂46のおたくと化してしまったわけであって、そんなぼくが欅坂46の新譜を2枚(最低限)買えば参加できる全国握手会に参加しない道理などそもそもなかった。

 

 欅坂46の全国握手会。略して「全握」である。なお握手会には「全握」と「個握」が存在する。違いについては各自好きにググって欲しい。ぼくが行ったのは「全握」の方だ。会場は名古屋。ポートメッセなごやである。ぼくは関西在住なので本当は京都パルスプラザ開催の全握(京都全握)に行きたいところではあったのだが、あいにく京都全握の当日は早稲田の茶箱でDJをすることになっていたため、まぁ仕方ないといった具合で、5月の名古屋開催での参加と相成った。

 

 と、まぁそんなわけで欅坂46の4thシングル『不協和音』初回版に同梱されている握手券を合計4枚握りしめて、二〇一七年五月十三日、ぼくは名古屋の全国握手会へと向かったのである。

 

 朝八時半。吹きつける風雨に曝された金城埠頭は肌寒く、ぼくは薄着で握手会に来たことを少しばかり後悔した。ポートメッセなごや金城埠頭の尖端に位置するその大規模展示施設は、正式名称を名古屋市国際展示場という。総敷地面積約二十万平方メートル、総展示面積は展示棟三つを合わせて三万三九四六平方メートルを数える施設である。

 

 あおなみ線の終着駅からぞろぞろと歩くおたくっぽい人間どもの集団についてゆき、施設のエントランスホールに足を踏み入れると、閉ざされた会場からミニライブのリハの音が漏れ聞こえ、身体の奥底でテンションが高まった。そのまま係員の誘導に従い、ぼくはエントランスを突っ切り外へ出る。すると、レゴランド・ジャパンをすぐ隣に臨む駐車場にあって、傘を差した大量のおたくが葛折れ状の列になって並んでいた(余談だが、エスピオナージ馬鹿はレゴランドと聞くとSIS(MI6)を想起する。ロンドンはヴォクソールに屹立するかの本部ビルは、その形状から「レゴランド」と呼ばれ、馬鹿にされているためだ)。

 

 折からの雨足はさらに強くなる気配を見せ、そうした驟雨に直立不動で耐え続けるおたくたちの集団は、さながら八甲田山死の彷徨といった具合に思えてしかたなかった。彼、彼女らは皆アイドルに会わんとすべく、降りしきる雨風に必死で耐え続けているのだ。ぼくにはおたくたちの気持ちがよくわかった。きっとアイドルを好きになる前のぼくだったらその気持ちを理解することはできなかったであろう。

 

 そしてぼくはおたくたちの列と一体になった。おたくとの合一である。時刻は午前九時。午前中のプログラムは4thシングル『不協和音』収録曲六曲のミニライブである。開場は午前九時三〇分。ミニライブ開演は午前十一時きっかりであるが、入場列は遅々として進まなかった。雨は強くなる一方で、前日に手入れした純白のスニーカーが跳ねた泥で黒々と汚れていくのを悲しい気分で見下ろしていると、次第に列の動きが速くなってゆくのがわかった。そしてふと視線を上げ、レゴランド・ジャパンの傍を通る高架に視線を送ると、『最終警告です天皇陛下』の巨大極太ゴシック体を荷台に書きつけた播磨屋のトラックが三台連なって高速道路を驀進してゆく様子が見て取れた。なぜだかぼくは「ああ、これは吉兆に違いない」という無根拠な想いひとつを抱き、またおたくたちからなる巡礼者の列と一体になる。雨足が少し弱くなった。

 会場入口では、係員がおたくどもから握手券一枚をむしり取り、ミニライブ観覧券一枚と交換する業務を行っていた。大規模展示場であるホール内の観覧席はオールスタンディングであり、観覧場所はA~Eのブロックで区切られている。Aが最前列、Eが最後列だ。早く並んだからといってAブロックに当たるわけではもちろんなく、受け取る観覧券のブロックはランダムであり、従ってどのブロックに当たるかは運でしかない。

 

 ぼくが当たったのはA-3ブロックだった。つまり最前列である。人生初全握にして、引いたのは大当たりも大当たりといって差し支えない。競馬でいえば中穴の軸馬に二桁人気馬がひっついてきて馬連万馬券、くらいのラッキー感だ(ぼくの体感による感想なのできっと個人差はあるだろう)。ぼくは心のなかでそっと播磨屋のトラックに感謝を捧げた。

 

 はやる気持ちもそこそこに向かったのはA-3ブロックの区画ではなく、トイレだった。時刻は午前十時四十分。待機列に並び始めたのは午前九時だ。そう、一時間四十分にもおよぶ待機列での忍耐は、ぼくの尿意に著しい危機をもたらしていたのだ。そのときのぼくはといえばとにかくおしっこがしたかったし、そのときの尿意は閾値を超え、きわめてシリアスな領域へと達しつつあった。

 

 トイレの列は本当に遅々として進まない。ぼくは気が狂いそうになりながら、中高年男性の尿のキレの悪さについて想いを馳せ続けていた。アイドルのことなど一ミリも考えず、ミニライブスタート二十分前のぼくは中高年男性の排泄について考えていたのだ。いまから考えればどうかしているにも程があるが、尿意は人間から冷静な思考を奪って余りある。あまり責めないでほしい。

 

 まだまだ列は進まない。トイレ入り口まであと四メートルのところで、「みなさーん、盛り上がる準備はできてますかー!」的なアイドルのアナウンスが場内に響き渡り、おたくたちが一斉に沸いた。欅坂46のキャプテン・菅井友香様のお声だとぼくの脳は瞬時に断じ、尿意は一瞬だけ収まったかのように思えたが、思考の冷静な部分が「ミニライブ開演五分前の段階でトイレ待機列のこの位置ということは、おしっこをしていて開演に間に合わない可能性はおそらく六〇%といったところだろう。ことは運の領域に突入してきた。君は欅ちゃんの生パフォーマンスを観るのはこれが人生初であろう? おしっこのしたさのために開演の瞬間を見逃すつもりか? 体験の一回性が損なわれるぞ?」ともの凄い勢いでぼく自身を詰めはじめた。

 

 ここでぼくには二つ選択肢があった。ひとつはトイレ待機列に並び続け、A-3ブロックへの開演間際滑り込みを狙うこと。もうひとつはトイレを諦め今すぐA-3ブロックに向かうこと。前者の場合尿意の問題は解決されるが、開演の瞬間を見逃す可能性が高い。人生初の生欅ちゃんパフォーマンスの体験をおしっこのために損なうのはあまりに惜しい。また後者の場合尿意の問題は解決できないが、開演の瞬間は確実に観られる。

 

 さて、どうする、と二秒ほど黙考し、ぼくはトイレに並び続けることを選んだ。今日はツイていると思ったからだ。何より播磨屋のおかきトラックがついている。あれは吉兆に相違ない。おしっこしたさのあまり、あのときのぼくは狂っていたのかもしれなかった。

 

 結論からいえば、おしっこは間に合ったし、ちゃんと石けんで手を洗い、開演の瞬間にも間に合った。暗転しはじめた通路を何食わぬ顔で歩き、欅ちゃんのオーバーチュアが爆音で鳴り始めた頃にはA-3ブロックへ滑り込むことに成功した。排泄待機列に並んだ代償としてA-3ブロックの中では最後方だが、密集するおたくたちのはざまにあってブロック最後列にぽっかりと隙間が空いており、そこに運良く入り込めた。両手に持ったペンライトをちょこまかと振れる程度のスペースは確保できる。おまけに前方にそこまで背の高いおたくがおらず、間近のステージをそこそこ良好に視認できる。尿意にも勝ち、ミニライブにも勝ったとぼくは思った。憂国おかきトラック様々である。

 

 オーバーチュアが終わり、ステージが始まった。以下はステージ上において繰り広げられた欅ちゃんたちのパフォーマンスについての感想である。

 

●一曲目:不協和音

 欅ちゃんのパフォーマンスはきわめて苛烈だ。これは大げさな表現でも何でもない。あの日ステージにいた欅ちゃんは総計二〇の殺気からなるひとつの巨大な修羅そのものだったし、とりわけセンター平手友梨奈の在りようは、ヒトの形を成した激烈な殺気そのもの以外ではありえなかった。

 

 髪を振り乱し、眼前をきつく睨み据え、掴まれた腕を振り払い、陣形を成して行軍する。それもアイドルらしからぬ蟹股で。それらは確かにぼくがテレビやMVで観てきた欅ちゃんたちではあったけれど、最前のブロックから観ると全然印象が違った。画面を隔てていない分、彼女たちの殺気が観客に向けて直に刺さるからだ。

 

 ぼくは格闘技が好きだ。とりわけ会場での生観戦をぼくは好む。テレビで観るのとは全く違う感触があるためだ。考えてもみて欲しい。観客が居並ぶ大ホールにおいて、自分と同じ空間にいる人間同士がいきなり自分の眼前で殺気を向け合い、本気の殴り合いをおっぱじめるのだ。敢えて言いたい。格闘技の生観戦は、リングの上を中心とした、殺気の波及を楽しむ娯楽だ。ある空間で発生した苛烈な殺気は空間全体へに波及し、やがて観客である自分自身へ突き刺さる。ぼくはリングサイド席でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが鼻面を殴られたときの「べちゃっ(パキッ)」という音を聞いたことがある。打撃のインパクトで鼻骨がひずむ瞬間における小さな音。テレビの中継には乗りづらいごく小さな音だ。そんな小さな音からぼくが感じ取ったのは「(対戦相手のセルゲイ・ハリトーノフは)ノゲイラを殺す気で殴っている」ということだった。リング上から放たれる殺気の質量に、あのときのぼくは身震いひとつを覚えたものだった。

 

 この記事は下書きなしで書かれているため大いに話が逸れたが、人生において、躍動する人間が放つ殺気を浴びる機会はそうそうない。だがあの日のミニライブにはそうした機会が確かにあった。要するに、ぼくは格闘技の生観戦に等しい体験を欅ちゃんのパフォーマンスから得ていたのだ。それはもうテレビで観るのとは全然違う。殺気が直に突き刺さる。その凄まじさに打ち震え、何だかよくわからない感情になったのだった。

 

 あと不協和音の織田奈那さん超カッケェ!!!! 午後の握手会でご本人に伝えよ……という気持ちが生まれた。

 

●二曲目:微笑みが悲しい

 てち&ねる曲。一周年ライブに行った知人から「てちねるが絡み合う曲だよ」ということは聴いていたし、覚悟はしていたつもりだったが、実物を眼前にしたら記憶が飛んだ。なぜかというと想像の八億倍濃厚に絡み合っていたからだ。何か、こう、ステージの袖で二人が絡み合ったところあたりからの記憶がない。あと何か至近距離で向かい合って見つめ合いながらおでこをこっつんこさせてた記憶がうっすらとある。あまりにも美少女すぎる美少女が自分の眼前で絡み合い出すと人間の記憶って飛ぶものなのだなと思った。助けてくれ……。あと、てち&ねるに関する文脈は、まぁ何か興味ある人は各自勝手に調べること。

 

●三曲目:割れたスマホ

 MVがいかがわしい強火の曲。なのだが、実際にパフォーマンスを観ると「何かエロい……」よりも先に「かっこいい……」がくることがわかり、脳に良かった。これはぼくの持論なのだが、極度に美人な女性がエロい雰囲気でキメ顔してると異常にかっこよくなるというのがあって、割れたスマホはそれを地でいっていた。あと、やっぱりぺーちゃんのあの手つきは生で見るとあまりにアレがアレで感情がめちゃめちゃになり、脳が半分くらい溶けて知のうが劣化してしまった。助けてくれ……。

 あとコール入れるの楽しかった(あの曲でコールを入れるのが不作法なのかどうなのかわわからん……赤ちゃんなので……)。

 

●四曲目:僕たちは付き合ってる

 スッと齊藤京子さんに視線が向いて、そのまま齊藤京子さんのことを目で追っていたら目の前にいた強火のおたくが「きょんこぉぉぉぉぉ↑↑↑↑ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!! きょんこぉぉぉぉぉ↑↑↑↑ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」と馬鹿でかい声量で語尾を上げつつ一生叫び続けていたので何か気が散ってしまい殺害した。振り付けがめっちゃかわいい。

 

●五曲目:エキセントリック

 歌詞が絶妙にダサいんだかカッコイイんだかよくわからないけどとにかくトラックがカッコイイ、ぼくは大好き、みたいな曲で、MVが存在せず、かつ一周年ライブでのパフォーマンスを観た人間が「メンバーみんな靴脱いで頭上でブン回してた」だの「曲の途中で全員髪を解く」だの想像できるんだかできないんだかわからないことを一斉に言うのでもとより気になっていた曲だ。従ってこの日のミニライブの目的の大半はこの曲にあったといっても過言ではない。ライブじゃなきゃどんなパフォーマンスなのかわからないので。

 

 で、実際観てみたらまーーーーーーカッコイイこと。あっ!? あの歌詞をこうパフォーマンスに落とし込むんだ!? 説得力しかない!!!! みたいな驚きがあり、とっても良かった。あと、パフォーマンス観た人にしかわからない話として、全員シンメトリックな隊形になって諸手を挙げつつゆら~~~ゆら~~~って揺れるところがあり、何だか上手く言葉にできないものの、あそこでセンターに立っていた平手さんの表情(目)を見て、そのあまりの修羅っぷりに本気で背筋がゾゾッときてしまった。「本物」をこの目で見た気がする。ヒトとしての在り方として彼女に敵う気が一マイクロミリたりとも存在しない。当たり前の話だけれど。

 

 あと髪括ってしんなりシャキシャキ動く土生ちゃんがマーーーーーージで格好良かった。土生ちゃんに憧れる女子中学生にはやく戻りたい、と思った(殺さないでください)。

 

●六曲目:W-KEYAKIZAKAの詩

 欅ちゃんのアンセム。ただこの頃には係員が規制退場に備えてブロック後方の柵を圧縮しはじめたせいで(出口を塞ぐため)、おかげでぼくの周囲にはペンライトを振るスペースさえ一ミリも残されておらず、ひどく悲しい想いをした。

 

 ミニライブおわり。

 

 さて、ミニライブが終わり午後からはついに握手会だ。長くなりすぎたので続きは後編。

 

渡辺零 拝