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【C93】「【C93新刊】「Ordinary346(2)(3)」本文サンプル」イラスト/渡辺零 [pixiv]

【C91】「【C91】「Ordinary346(1)」本文サンプル」イラスト/渡辺零 [pixiv]

【C88】「【C88】「電脳軍事探偵あきつ丸 參」本文サンプル」イラスト/渡辺零 [pixiv]

【C87】「【C87】「電脳軍事探偵あきつ丸 貳」本文サンプル」イラスト/渡辺零 [pixiv]

【C86】「【C86】「電脳軍事探偵あきつ丸」本文サンプル」漫画/渡辺零 [pixiv]

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コメンタリ#5

ミックスを録った。「まぁ2月だし『Valentine's Groove』からスタートして適当にやるか」という安直にすぎる着想点があり、そんでセットリストを決め打ちせずダラッと90分ほどDJをして、その中の60分だけを後日抜き出してアップロードした。行き当たりばったり、適当もいいところである。

▼TrackList

01. Garrett David - Two Nineteen [Lobster Theremin]

02. V.I.C.A.R.I. - Pascià [Robsoul Recordings]

03. Pete Moss - Just For You (Mike Delgado Remix) [Ovum Recordings]

04. Peggy Gou - It Makes You Forget (Itgehane) [Ninja Tune]

05. Kerri Chandler - Checkmat [Watergate Records]

06. Magik Johnson - Follow The Groove (Ian Pooley Remix) [NRK]

07. See Other - Waitin [Lobster Theremin]

08. Lone - From a Past Life [R&S Records]

09. Bs As Deep - House Diplomacy [MyHouse YourHouse]

10. Crackazat - Life Is [Local Talk]

11. Fede Lng - Be Thankful For What You Gat (Edit) [Axe On Wax Records]

12. DJ Sonikku - Secret Island [Distant Hawaii] 

▼ちなみに『Valentine's Groove』の後はKiNK繋ぎで『Leko』をかけたのだが、後から聴き返すと全体の流れにハマっていない感じがしたので『Valentine's Groove』ともどもカットした。お蔵入りである。

▼『Pascià』が好きである。Dubも良いが今回はかけなかった。

▼そのときそのときの気分でこうも選曲が変わるものかと瞠目した瞬間があった。「中盤〜後半ちょっと上げていかにゃならんな」と思ってCDJを操作しながら曲をパラパラ探していると、どうにもディープハウスっぽい曲ばかりが目について、上げていくか……と見せかけつつ、次第に深みへ深みへ……そんで最後ちょっと浮上して、また沈んで終わる、という方向性と相成った(元々そんなミックスにするつもりではなかった)。バッチーンと上がる曲をかけ続けたい気分ではなかったらしい。

▼冬は日照時間が少なく、空気も乾いており、まぁ何というか「深みへ深みへ……」みたいな方向性がぼくの中ではしっくりきたのかもしれない。毎月ミックスを録っているとこういう類の発見がある。自分の内面と向き合うという意味では、小説を書く行為とミックスを録る行為は結構近いのではないかと思う(知らんけど)。

▼後半ズンと沈み込み切った流れに『From a Past Life』がハマった。この曲、ふわっと浮上していく流れでも映えるなという次第で、好きな曲の新しい一面を垣間見た感じである。

▼「深みへ深みへ……そんでちょい浮上」という流れの中において、最後らへんにパッと明かりが差し込むような曲が欲しいな、といったところでCrackazatの『Life Is』をちゃんとかけられたので、少し救われた気分になった。本当に力強く、良い曲である。かの曲が収録されたアルバム『Rainbow Fantasia』は2017年を代表するハウスの名盤なので本当に聴いて欲しい。

▼60分の単発ミックスにおいて、最後にかかる曲が最後の曲っぽいのがあまり好きではない(伝わって欲しい)のだけれど、そんなこんなで最後えいやっとかけた『Secret Island』が存外にそういった趣を醸し出してしまったのは否定しがたい。もうちょっと違う選択肢があったなと振り返る一方、『Secret Island』は本当に良い曲である。こういうじんわりとアナログっぽく、かつロウな曲に滅法弱い。

コメンタリ#4

▼ここのところ乃木坂3期生の久保史緒里がグイグイ来ている(ぼくの中で)。3期生の中において目を引く存在だなとは以前より思っていたが、ここにきて株価が連日ストップ高という感じである。近頃の自分自身を顧みつつ、「なぜ今になってグイグイ来ているのか」と考えたところ、「仕事がしんどいから」という身も蓋も無い結論に行き着いた。

▼久保史緒里といえば、真面目で美人でかわいくて、歌が上手でお芝居も達者な努力家であり、そして極度の恐がりであるあまり、少しでもビックリすることがあると「ひーん」という感じに声を上げて泣いてしまう16歳の女の子である(宮城県出身)。ブログでは想いの篭もった実直な文章を書くため、非常に好感が持てるのもポイントだ。それと作画(?)が非常に少女漫画のヒロインっぽい。現実のアイドルすげぇ、情報過積載だ、という次第であり最高である。伊藤万理華がグループを去った現在、これがぼくにとっての次なる2推しなのか……という自覚さえある(無論、乃木坂における唯一無二の推しメンが齋藤飛鳥であることに変わりは無い)。

▼ぼく個人にとって、アイドルを推す行為というのは自分の人生と関わりの無い他者(メチャクチャに顔が良く、能力が高く、およそ想像も出来ない人生を歩んでいる(凄まじい競争率のオーディションを勝ち抜いている時点で能力が高いのは明らかだ。ここに気づけない抜け作は、真の男の国メキシコにおいては格好のカモとされ、いずれ屍となり、路傍に打ち棄てられるうんめいにある))を推す行為に他ならないわけであって、そこには多少なりとも「崇める」だとか「リスペクトする」だとか、そういった類の文脈が存在する。

▼久保史緒里はちょっと違った。つまりどういうことかというと、「崇める」だとか「リスペクトする」だとか、そういったあれこれの前段として「この世に存在するだけで癒やされる……」みたいな感情がぼくの内面において発生した。これにはびっくりした。「癒やされる……」というのは、好きなアイドルに対する感情としては世の中においてごく一般的なものにすぎないと思われるが、ぼく個人はアイドルに対してそんなことを最初から求めてなどいなかったし、何より「癒やされる……」という感情は、「崇める」だとか「リスペクトする」だとか、そういったあれこれとはあまりにかけ離れた位相にあり、自分自身結構困惑し、遂には「なぜか」と自問するに至った。

▼彼女の存在が、日々の仕事で疲弊したぼくの心の隙間にスッと入り込んできたというのが正確なところだろう、ということが自問するうちにわかってきた。単純な話、頑張ってる"良い子"を見るとほんわかした気持ちになって応援したくなるし、頑張ってる"良い子"を応援しているうち、まぁ世の中相応に辛いわけだけれど、彼女も頑張ってるんだからぼくも頑張らなあかんな、という気持ちになり気力がみるみるうちに回復してくる。

▼頑張ってる16歳の女の子を見て自分も頑張ろうという気持ちになる……何て人間っぽい反応なんだ……と思いつつ、そういった人間らしい心の持ちようを呼び覚ましてくれる存在というのも、またアイドルなのだなあ……という気持ちにもさせられる。実に良い話だ。

▼実社会でバリバリ金を稼がなければ死んでしまうアラサーの独身サラリーマンが16歳の女の子(自分の人生と関わりが無い)の存在を心の拠り所にしているという事実は、ある種の視点に立つと結構グロテスクなのかもしれないとも思う。まぁ、そういう見方もあって然るべきだろう。が、拠り所なんてそれこそ人の数だけあるわけで、少なくとも自分で金稼いで生きてるんだから好きに生きさせてくれ、ついでに自分の拠り所も好きに設定させてくれ、という感情も無くはない。

▼坂道のオタクになってそろそろ1年になる。きっかけは欅坂46初ワンマンライブの映像をAbemaTVで観たことによるものだが、そもそもなぜ欅坂46の初ワンマンを観ようと思ったのかというと、デレマスの同人誌を書いていたぼくにとって、「本物のアイドルのライブってどんなのだろう……」という強い興味があったからに他ならない(「有明コロシアム、かかってこい」の番宣CMが異常に格好良かったのもあるが)。ちなみに、当時ぼくが想定していた「本物のアイドルのライブ」と欅坂46のライブが、プロダクトコンセプトそのものからして全く異なるものであることに気づくのはその後の話だ。

▼本物のアイドルのことを知れば架空のアイドルのディティールをもっと詰めて書くことができる。当時のぼくはそんなことを考えていた。が、そんなことはなかった。結論からいうと全然役に立たなかった。

▼以下、それでもなお役に立った情報を列挙する。アイドルグループを統括し意思決定権を有する「プロデューサー」という役職は物凄くエラい(※追記:大事なことを書き漏らしていた。大規模なプロダクションにおいては、の話だ)。一般企業に勤める平社員の感覚的には役員クラス以上、それで大袈裟なのだとしたら役員代行クラス以上を想定すれば良いだろう。なおこの感覚は実際の「プロデューサー」なる役職が一般企業においてどの役職に相当するのか、という話とイコールではない。あくまで感覚の話、平社員から見た上役までの距離感にまつわる話である。そんなわけで拙著『Ordinary346』において「統括者(プロデューサー)」の男の年齢設定をかなり高めに設定し、役職も室長クラスにしたのは大正解であったと思う(まぁ、あそこでいう「統括者」とは一種の暗号名にすぎないが……)。三次元アイドルを知る前の自分が思いついた設定であるので、運が良かったという他ない。従って、フィクションとはいえタレントマネージャー程度の描写を施された人間が「プロデューサーさん」と呼ばれているとめちゃくちゃな違和感を覚えるようになってしまった。フィクションはフィクション、だとしてもだ。

▼何らかの火種を蒔こうという意図は一切無いことを強調したい。これは単に、デレマスの同人屋が坂道に転んだ結果どう感覚が変わったか、という一例程度に捉えて貰いたい。ぼくの感覚が全てだ、というつもりも毛頭ない。それに何より、フィクションはフィクションとしてあるべきだ。それでもなお、現実を知ったことで少しだけ感覚が変わった同人屋(二次元と三次元を兼任しているオタクは珍しい、とよく言われる)がいる、とだけ捉えて貰いたい。

▼10代の二次元アイドルを年相応に描く必要は一切ない。ましてやわざわざ幼なめに描く必要など皆無に等しい。アイドルになるような人は、普通の同年代の子よりも皆少しだけ、あるいはかなり大人びているように思う(まぁ、当然例外もあるが、それはそれとしてだ)。あくまでぼくの感覚だが。

Twitterに書くと不興を買うだろうな、言わんとこ、と思って黙っていた部分を一気に書いた。とはいえ上記はいずれも、より真摯に二次元アイドルと向き合って同人誌を作るために必要だと思って得た知識に由来する認識であり、視点を変えて対象を見つめ直すことで見えてくる物事は無論のこと多々あり、『Ordinary346』2巻と3巻の執筆時には、描写対象となる二次元アイドルの人生について、色々と今までに無い視点で考えることが出来た。「こんなアイドルドラマありえねーよ、ギリギリあったとしてもNetflix配信限定では……(放送コードNGはおろか、事務所NGとなるであろう描写がてんこ盛りなので)」という気づきがあったとしてもだ(ここは笑うところです)。

▼『宮本フレデリカさんのこと』を書いた当時の自分は上記の観点が一切ないので、いま読み返すと恐らく色々と(逆に)新鮮だろうな……みたいな予感がある。いまのぼくには書けない何かがあると思うので、自分にとっても貴重な1冊といえよう。

コメンタリ#3

▼Robsoulの新譜がすんげぇ良い。4曲どれも良いというのは凄いことだと思う。3月リリースとのこと。

▼現場やサンクラで人様のミックスを聴いていたらめちゃくちゃ良い曲(知らない)が流れ始め、「なんじゃこりゃあ!」となって矢も楯もたまらずShazamしたりMixesDBを漁ったりその他の方法で調べたり、はたまたDJしてる本人に訊いたりして、結局その曲がリリース前もしくはアンリリースドだったことが判明した、みたいな経験が非常に多いように感じる。件のRobsoulの新譜については、Phil Weeks(レーベルオーナーである)のミックスを聴いていたら唐突にA1およびB1の曲が出現し、「なんじゃこりゃあ!」となって矢も楯もたまらず調べたという経緯が存在する。まさしく同じパターンだ。

▼Junior Sanchezのミックスを聴いていたらアホみたいにかっこいい曲が流れ始め、よくよく調べたらアンリリースドだった(のだが、その後気がついたらリリースされていた)、というのも去年あった。本当にこういう体験が多い。

▼各人におけるDigの方法論は自己言及してはならぬ、みたいな不文律は、うっすらと漂う空気じみて、そこかしこに何となく存在するように思う。そんな中、おそらく最も後ろめたいDigの方法は人様のbandcampアカウントのコレクションに張りつく方法だと思う(コレクションについては公開/非公開の設定が可能だが、いずれにせよ、あれは事実上アカウントに紐づいた購入履歴である)。すごい……何の努力もせず良い曲が手に入る……まるで人様の腸の中に住まう寄生虫だ……みたいな手応えすらある。ぼくもよくやる方法ではあるが。

▼フロアでShazamすることは恥ずかしいことでも何でも無い、とかのオカダダさんが言及していたのは非常に大きな出来事であったと思う。「あ、恥ずかしくないんだ」と思え、聴く者の心持ちとしてある種の開き直りを得ることができたのはめちゃくちゃ大きい。良い曲を探すのに手段なんか選んでられないし、格好つけてなんかいられないよな、そうだよな、という。

▼リリース前だったりアンリリースドだったりする曲にすごい魅力を感じる。その人のミックスの流れにすっぽりと収まりつつも、曲そのものはその人のローカル(あるいは近しい人間のローカル)にしか存在しないわけで、ぼくら聴く者にとっては、存在してるんだか存在していないんだかよくわからない(でも確かに存在している)曲であるところが妙に好きだ。

▼アンリリースドといえば、『You Make Me Acid』のリリースを丸2年ものあいだ心待ちにしている反面、このまま永久にリリースされないで欲しい、的な矛盾する想いがぼくの中に存在する。

 ▼カンフーヨガを観た。古式ゆかしいジャッキー映画に惜しみなくドバイマネーが注ぎ込まれ、何とも贅沢な映画が出来たように思う。ともかく景気が良い。海鮮炒飯とビリヤニが同時に大皿で供され、「好きなだけ喰え、今日は奢りだ」と言われたかのような感触があの映画にはあった。

 ▼カンフーヨガといいつつ実際ヨガ要素はそこそこである。潜水呼吸と縄抜けのくだりくらいしかヨガが活躍する要素がない。まぁそんなもんだろう。とはいえ、中華人民共和国とインドの組み合わせというのは凄い。二つの国家の人口を合わせると約27億人である。地球人口に対するおおよそ36%にも達する数だ。そりゃ映画撮ったら凄いものができるよな、という謎の説得力があった。

 ▼高級車を次々とスクラップにするくだりには興奮した。あの景気の良さは西部警察が裸足で逃げ出すレベルである。

  ▼暴走車が道行く車を次々とはね飛ばしてスクラップに変えるのはアクション映画の醍醐味だと思う。近年だと『ジェイソン・ボーン』のラスベガスのくだり、『サボタージュ』終盤のカーチェイスが個人的なお気に入りだ。とりわけ『サボタージュ』終盤のカーチェイスは、車両破壊描写はもちろんのこと、交通事故が人体をいかにして損壊させ死に至らしめるかを異常に丁寧に描いていた。実に好感が持てる。

 ▼ 逆噴射聡一郎氏のハウツー連載、「パルプ小説の書き方」が絶好調だ。異常に面白いしためになる。ワナビーがいかにして商業出版まで漕ぎ着けるか、またはデビューしたばかりの駆け出し商業作家がいかにして生き馬の目を抜く実社会においてサバイブするか、みたいなナレッジがこれでもかと詰まっている。

 ▼ この実社会のことをメキシコ(真の男の国)に喩える逆噴射聡一郎氏は果たして大袈裟なのか? 否、そうではない。作家なる職業に就いて実社会を生き抜くということは常に危険と隣り合わせであり、銃を懐にメキシコ(真の男の国)で日々を生き抜く緊張感とそう大差ないからだ。ここメキシコ砂漠では、そうゆうことを真剣に考えないやつからゆだんして死ぬことになる。

 「パルプ小説の書き方」を読んでいると、時折、これは逆噴射聡一郎氏の実体験に基づく考えなのだな、という直観がはたらく箇所に出くわすことになる。まぁ十中八九、逆噴射聡一郎氏はニンジャスレイヤーほんやくチームの主要関係者であり(かの"ほんやく"なる建前が日本語での執筆を意味するハイコンテキストな何かであることは明白である)、ニンジャスレイヤーの商業出版に至るまでの間、本当に色々あったのだろうなという苦労が察せられる。あのハウツーで書かれる「作家として生き抜くには?」という問いにまつわるナレッジが真に迫るものであればあるほど、そうした確信が強まってゆく。良いハウツーだと思う。読むべし。

▼元乃木坂46伊藤万理華の話をしたところ、アイオタアイオタしてない界隈からぽつぽつと反応らしきものが返ってきて嬉しい。アイオタアイオタしてない人にこそ響く元アイドルであるとぼくは思う(齋藤飛鳥についても同様だ)。

▼繰り返しになるが、長濱ねるからリスペクトされる存在であるというのは本当にスケール感の桁が違う話に他ならないと思う。アイドルになるという人生を勝ち取り、そして選び取るような人間なのだから、当然のごとく伊藤万理華は我々のようなごく平凡な人間とは色々な何かのステージが違うに決まっている。だからこそ長濱ねる程の人間にリスペクトされるスケール感を持ちうるのだとも思う。

▼考えてみると、元乃木坂メンバーの人物が「凄い人」であるのは当たり前の話にすぎない。とんでもない競争率のオーディションにおいて選び抜かれ、正規メンバーとして乃木坂に迎え入れられた経歴を持つ人間には、やはりそれ相応の「人よりも圧倒的に優れている何か」が存在すると思うからだ。

▼まことに手前味噌な話であるが、ぼくの勤めている会社は新卒選考の倍率がめちゃくちゃ高い。いわゆる人気企業だ(入社した後に知る諸々の内実はさておき)。その人事曰くである。「理由なく新卒を選んだり落としたりしませんよ、優秀だと思える根拠が明確にある人間しか採りません。だから新卒で採った人間の中に能力の低い人間などいるはずがないのです。新人を育てる際は、そのことを念頭に置いてください」とのこと(この認識は新人育成を任された際、めちゃくちゃ有益にはたらいた)。もちろん、一般企業とアイドルグループを同列に語ることなどできるはずもない。だが、多数の若い応募者の中から選りすぐりの人材を選び抜き、やがて組織の中で価値を生み出してゆくであろう応募者を抽出するというのは、一般企業の新卒選考もアイドルグループのオーディションもそう本質が変わらないものであるように思う。これは大手のアイドルグループを見る際における、ぼくの基本認識だ。

▼とりわけ坂道グループのアイドルを見るときの視点は、ぼくにとって「優秀な余所の家の子」を見るときの視点と非常に近い。そう、彼女たちは「優秀な余所の家の子」なのだ。無論、この感覚が坂道くらいしか知らないぼくの狭い視野に起因するものであることは自覚している。が、坂道グループのアイドルを追う際、これはこれで結構強力な補助線になったりする。中々どうして悪くない着眼点だと自己満足気味に思うところだ(なおこの視点は、昨日書いた「見上げるくらいで丁度良い」の発言と矛盾しない)。

▼1年前、名古屋の欅坂46の握手会レポを書いたときと、坂道グループのアイドルを見るときの視点がだいぶ変化していることも自覚している。何が作用してそうなったのかは定かで無いが、去年の秋頃欅坂を箱推しし続けることにだいぶ疲れ、ふと乃木坂に流れた頃から徐々に考え方が変化していったような自覚はぼんやりとある。

▼こんなことを言いつつも、嫌味っぽいアイオタにだけはなりたくないなと思う。ここで想定する嫌味っぽいアイオタとはどんなアイオタかというと、妙にメタっぽい視点からアイドルを語りたがるアイオタだ。油断するとぼくの視点はあそらへんの雰囲気に段々と近づいてゆくのではないかという手応えを感じている。なお、上記については特定の何者かをdisる意図は一切ない。

コメンタリ#2


映画『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』予告

▼実写版の『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』を観た。主演の阿知賀メンバー5人による舞台挨拶つきの回である。前日に知人と「咲-Saki-阿知賀編episode of side-A観に行きましょうよ」「行きましょう」「そうしましょう」「やるぞ」「よっしゃ」という話になり、「舞台挨拶回に空席があるんですが……」「やりますか」「やりましょう」「やるぞ」という話になった。

▼最後に舞台挨拶のある上映に行ったのはいつだったかと記憶を掘り返すと、13年前であることがわかった。当時何で行ったのかは思い出せない。そのとき観た作品がひどくつまらなかったことだけ憶えている。タイトルは伏せる。

▼さておき『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』である。『咲-Saki-』については無印も阿知賀編もシノハユも当然のごとく抑えている。過去に同人誌も2冊出した。戒能プロが遠野の山奥に巣喰う屍人の村を強襲しに行く超伝奇二次創作(馬鹿すぎる)、『退魔雀士 戒能良子 -遠野の山姫編-』はその1冊である。なお2作目の構想として、戒能プロvs松実露子夫人(死そのものを纏う最強の屍人遣い)本という、『魔界行』の読み過ぎもいいところな企画をかつて温めていたのだが、『咲-Saki-』本の新刊をその後出すこともなく現在に至り、当時の企画骨子は皆さんに見えないところでやっている乃木坂の生モノ二次創作に回収されたりした。

上記については『退魔雀士 戒能良子』シリーズ二作目を書こうとするも結局2作目自体を出さずお蔵入りとなった、といった趣の話であり、当時の構想をここで開陳するなどダサい行為にも保土ケ谷区なのだが、自らの寿命から差し引いた時間の分だけ未来を「視る」ことができる公安霊能捜査官・園城寺怜(23歳・狐憑き)と、最強のタクティカルコンバットイタコ・戒能良子(傭兵)がバディを組み、大阪〜神戸〜吉野を闊歩し、レイラインを巡る日本闇社会とCIAの暗闘に身を投じる話を当時のぼくは書こうとしていた。『魔界行』まんまやんけ。 

魔界行―完全版 (ノン・ノベル)

魔界行―完全版 (ノン・ノベル)

 

 ▼『魔界行』マジで読んでください。特にウチの本なんかが好きな物好きの方はマストです。とはいえ、これを読まれると「あいつ……影響を受けすぎでは……」となり、あらゆる元ネタがバレまくる恐れもあるので、やっぱ読まなくていいです。良い本と良い曲は訊かれでもしない限り人に教えないに限ります。

 ▼実写版『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』の話に戻る。結論からいうとどえらい面白かった。漫画の実写化というと何かと敬遠されがちだし、ぼくも進んで観ようとは思わないが、中々どうしてよくできた実写化だったといえる。原作の『咲-Saki-』は超伝奇異能力麻雀バトル漫画だ。ゆえに麻雀で戦う。戦いの段取りとしては、インターハイ本戦が先鋒〜大将の5人1チームどうしによるトーナメント制だから、どうしたって尺が長くなり、映画の尺でやると間延びするに決まっている。退屈になりはしないだろうか。そんな具合に、観る前のぼくは少しばかり心配に思っていたのだったが、実際のところ、全然そんなことはなかった。

 ▼なぜか。要因は色々あるように思う。まず一番おいしいところから映画のストーリーをスタートさせたのが大きいと思う。インターハイ本戦に至るまでの前段(幼少期のくだりとか地区予選のくだりとか)は全部テレビ放映回に任せ、映画本編はいきなりインターハイ本戦から始まった。これは上手いと思った。初見の観客への気遣いなど皆無なのである。

 ▼実写版『あさひなぐ』のストーリーが異様に眠たかった要因を裏返すと、そのまま実写版『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』の面白さの要因となるように思う(片方の作品を悪い例として引き合いに出してもう片方の作品を持ち上げるのは感想として最低だと思っているが、引き合いに出さずにはいられなかった。いまどき「わたし、東島旭! 今日から高校1年生!」をファーストシーンに持ってくる映画がありえるだろうか)。

 ▼つまり、実写版『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』は原作のストーリーを1から馬鹿正直になぞらなかった。それでいて初見殺しでも何でもないふうに作られていた。驚くべき塩梅の良さである。この話は映画のつくりそのものの話であり、ぼくが原作既読者である点と全く無関係だ。「5人は同じ高校の麻雀部に所属する幼馴染みどうしであり、夏の全国大会に出場している。周りには何やら強そうな高校生雀士ばかりがひしめき合っている。前途は多難だ。そして、5人が"もう一度遊びたい"と願う幼馴染みの原村和と相まみえるためには、高い壁である準決勝を勝ち抜き、決勝戦まで駒を進めなければならないのであった……」映画本編を楽しむにあたり、観客はこれだけ理解できれば充分である。そして実写版『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』は、それらの基本的な情報を観客に対し理解しやすいようストーリーを組んでいた……というより、原作がそういうふうに話を組んでいたといった方が正確だろう(この映画は原作のストーリーラインをかなり忠実になぞっているためだ)。

 ▼原作のストーリーを1から馬鹿正直になぞらないことによって、この映画は原作の一番おいしいところから映画のストーリーをスタートさせることに成功した。長編漫画の実写化ってこうやるべきなんじゃないの? というお手本になりえるアプローチだとぼくは思う。原作において一番盛り上がるくだり(この映画でいうと準決勝の先鋒戦〜大将戦)をたっぷり丁寧に描けるからだ。

 ▼映画の尺においては、スケールの長いエピソードの積み重ねよりも、いかに序盤で助走を終えて観客を物語の世界に引き込むかが重要であると思う。無論、そうでなくとも良い映画は沢山ある。が、面白い映画の定型のひとつとして、「助走期間をさっさと終えて、まずは最初のおいしいところを観客に見せる」というのがあるのは間違いの無いことであるように思う。

 ▼映画本編。二回戦すらさっさと終えて、いきなりの準決勝である。スピード感がすごい。それでいてちゃんとストーリーが入ってくる。端折っているわけでは決して無い。むしろかなり丁寧だ。取りこぼしている原作のシーンなど無いのではないか?(全コマ映像に起こしているのでは?) と思うほどだったのだが、実際のところどうだったのかは識者に任せる。

 ▼準決勝のくだりを観ていて思った。アニメにあった「引き」がない。当然だ。映画だからである。「引き」って何のこと? というと、アニメBパート終わり際の「引き」である。何か止め画とかになって、『SquarePanicSerenade』のイントロが流れ出すアレのことだ。アレがないだけでテンポとスピード感が異常に良くなる。これにはびっくりした。盛り上がる展開がノンストップで60分以上続く(60分以上というのはあくまで体感なので実際のところどうだかは知らない。印象批評もいいところである最悪な感想であり、本来であればこういう感想は述べるべきではないと思う)。


映画『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』予告 宮永照ver

 ▼宮永照役・浜辺美波の顔の整い方が尋常ではない。カットの構図的に、真正面から彼女のスンとした真顔(超顔が良い)を捉えるものが数多くあり、その度に馬鹿でかいスクリーンに大写しにされた彼女の顔のあまりの美しさに気が狂いそうになった。梅田ブルク7のいちばんデカい箱で観れて良かった。本当に。

 ▼園城寺怜役・チームしゃちほこ、咲良菜緒が良かった。特に「トリプル」からのくだりにおいて、汗で湿る前髪の隙間から覗く死魚の瞳とでもいうべき芝居が最高に良かった。超伝奇×和製ホラーという趣であり、ぼくらの大好物である。前述の咲-Saki-未刊二次創作本で書きたかった園城寺怜はこういう園城寺怜だ。何か人生における願望のひとつが唐突に漫画の実写化映画で叶えられた。人生何があるかわからんもんである。

 ▼松実宥役・SUPER☆GiRLS、渡邉幸愛の芝居がマジで良かった。宥姉の空気感まんまである。あれにはさすがにびっくりした。

 ▼高鴨穏乃役・桜田ひよりの良さは言うまでもない。ジャージの下にスカートを穿いているかいないかなどこの際些細な問題である。

 ▼花田煌役・矢野優花の存在感が花田煌そのもの、というか、声音が新井里美そのものなので椅子から転げ落ちて頭を床で強打し死んだ。どうなってるんだあれ。

 ▼これは最も強調したいことなのだが、大星淡役のキャラクターデザインにまつわる解釈には当初のキャスティング発表時から驚かされた。原作のキャラクターデザインは漫画漫画した金髪である。それを実写化にあたり、明るめの茶髪として翻案したのはいかにも現代的で良い。作中のリアリティラインが良い具合に抑制され、かつ原作のキャラクターデザインから受ける印象も損なわない。兎にも角にも異常に塩梅が良いキャスティングだ。夢アド、志田友美の芝居も良い。

 ▼上映後、一緒に観た知人が話していたのだが、リザベーションをまんま実写でやるにあたり普通に和製ホラーっぽい演出になっていたのが良かったとのこと。「普通に怖いでしょあれ」とも。確かに、能力の特性を考えるとストレートな表現ともいえる(いくら何でもオカルトが過ぎるでしょ)。あらゆる漫画表現の翻案において、何もかも正解しかないように思われる。

 ▼それにしても、メチャクチャ顔の良い女が一度に20人も出てきてイチャつきはじめる映画の何と贅沢なことだろうか。お子様ランチもかくやという映画である。

 ▼丁度個人的にも二次元コンテンツより三次元アイドル(坂道)がグイグイきているタイミングであり、このタイミングで『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』を観れたのは非常に良かった。抵抗なくすんなりと入れた要因のひとつとして、漫画の実写化とあまり意識せず、メチャクチャ顔の良い三次元の女の映画としてこの作品を観られたからなのかもしれない。

 ▼アイマスHTML5のブラウザゲーとして完全新作を出すらしい。完全新作なので新キャラによる新シリーズであるとなお良いと思う。シンデレラガールズが企画された背景には48グループの存在があったことはおそらく否定のしようがなく、リリース年である2011年は、オリコンが当年を「アイドル戦国時代」と定義した年である。そういう意味でいくと、2018年にリリースされるアイマス新作がどうなるのか、という想像を巡らせるのは楽しい。既存キャラでの新展開でした、ちゃんちゃん、で終わる可能性も当然あるが、やはり当世っぽく坂道っぽいアイマスはちょっと見てみたいなという気がする。淡い期待に過ぎないが。

 ▼デレステに出てきた乙倉悠貴(SSR)の衣装が乃木坂46パロディの塊(ガールズルール+扇風機+バレッタ)であることは周知の事実である。が、デレステの世界観(および色彩感覚)において乃木坂46パロディはイマイチマッチしていないな〜と感じたのも事実であり、そういう意味で坂道っぽい風合いの新しいアイマスは是非とも見てみたい。そんなのがもし出てきたらドンドコ同人誌書いちゃうぞ。

 ▼乃木坂がデビューして7年、後発グループの欅坂が爆売れしたのがここ1〜2年の出来事なのである。そろそろ坂道フォロワーっぽい二次元アイドルコンテンツが出てきても良い頃合いだと思うのだが、どうだろうか。 

 ▼伊藤万理華写真集出さないうちに乃木坂卒業しちゃうか〜〜〜、マジか〜〜〜。と思っていたら卒業後に写真集が出ることになったという。さすがにびっくりした。

 ▼以前に京都の北野天満宮でやっていた彼女の個展に行ったらポートレートがどれもこれも素晴らしくてひっくり返って死んだ。パシッと『装苑』っぽい服を着て長方形の額縁に収まる彼女は、いかにもといった具合に絵になっていたからだ。ゆえに、写真集出さないまま卒業しちゃうのマジか〜〜〜、となったわけである。さすが中学生から『装苑』を愛読している人間は違う。

 ▼伊藤万理華×益昌大廈とは恐れ入った。あまりに正解すぎる。解釈の一致。

 ▼それにしても、帯文の「香港に降り立つ」という表現が何とも超伝奇ノベルスっぽくて笑ってしまった。菊地秀行の本のあらすじかよ。

 ▼秋元康については作詞のエライおじさんということ以外、特に何の感情も持っていないが、坂道の子の写真集をウキウキ気分で買って帰って書店のビニール袋から取り出すと、漏れなく彼の微妙な帯推薦文(熱量常にゼロ)を目にする羽目になり、何とも微妙な気分にさせられる。重ねて言うがぼくは秋元御大に対し何の感情も持っていない。唯一、あの熱量ゼロの帯推薦文だけは何とかならんかな、少なくともアガらんなぁ、というのは思っている。本人は書いておりません、ゴーストライターが考えました、と言ってくれた方がまだ救われる程である。

 ▼伊藤万理華という存在のヤバさを端的に表す文言をチョイスするならば、「長濱ねるがこの世で最もリスペクトする女」という一行しかありえないのだが、しかし長濱ねるにリスペクトされるというのは凄まじいスケール感である。長濱ねるに関しては同性(のくだらない人間)が嫌えば嫌う程、彼女が我々と同じステージに立っていない感が強調される節があり、してみるに、そんな彼女にリスペクトされるというのはとんでもないレベルの話である。どういう人生を生きれば長濱ねるにリスペクトされうるのか、ぼくは全然想像がつかないし、デザイナー一家に育ち、幼い頃からファッションとは何かという薫陶をたっぷりと受けて育った彼女の人生を、工作機械メーカー営業の息子であり、現サラリーマンであるぼくは全くもって想像することができない。グループ卒業後、彼女が知人である著名人のインスタストーリー(あまりにハイセンスなファッションに身を包んだ人たちが集う飲み会の様子を映したもの)に出ていることが話題になった際、ファンの1人が「すげ〜、住む世界が全然ちげ〜」みたいなことを言っていたが、あれは中々どうして当を得た感想であったように思う。アイドルを推していて思うのは、他者の人生を想像することの不可能性だ。アイドルになるという決断・選択をする人間の人生を、ぼくはどうやっても想像することができない。それが他者という存在の正しいあり方であるように思うし、そうあるべきだとも思う。だからぼくはアイドルが好きだ。自分の人生の立ち位置から見上げるくらいで丁度良い。

 

🇭🇰 #エトランゼ#étranger#photobook

伊藤万理華1st写真集『エトランゼ』officialさん(@marikaito_etranger)がシェアした投稿 -

コメンタリ#1

▼あれこれしている間に年が明け、2018年になった。2010年代もいよいよ終盤に入り、かつての2000年代といま現在を隔てる距離感とでもいうべき、そういった何かについて考えるようになった。『マルドゥック・ヴェロシティ』1巻初版が発行されてから早12年、『虐殺器官』Jコレ版の初版が発行されてから早11年が経過しているのである。大変なことだ。

▼昨年末のC93にて、新刊『Ordinary346』の2巻と3巻を発行した。お陰様で新刊の現地持込分は全完売、メロンブックスの通販も即時完売という結果となり、引き続きご好評を頂き嬉しい限り。1巻が百合とエスピオナージに全振りした内容であったのならば、2巻と3巻はバイオレンスとアクションに全振りした内容となった。女と女の静謐な百合どころか、次々と異常者が現れては暴虐の限りを尽くし死を撒き散らす、みたいな内容になり著者本人である自分自身がいちばん面食らった。1巻の読み味を気に入って頂いた方に2巻3巻が受け容れられたか(もしくは受け容れられなかったか)、結構気になっている(感想は逐一エゴサして見ています)。

【C93】「【C93新刊】「Ordinary346(2)(3)」本文サンプル」イラスト/渡辺零 [pixiv]

▼2巻と3巻合わせて製作期間が2週間と少々しか無かったのは個人的にもやはり心残りで、あそこをもっとああできたなとか、もっと丁寧に処理できた箇所があったなとか、そんなことばかり考えてしまう。ま、同人屋なんてみんなそんなもんだよね、というのはありつつも。

▼雨水龍先生の装画(特に3巻のフレちゃんの表情よ)が兎角すばらしく、事前の表紙打ち合わせで「3巻のフレちゃんの表情どうします?」という話になり、ディレクションとしては「多少悪い顔してても問題ないです。ありもしないドラマのノベライズという体なので、フレちゃんがお芝居で人殺しの顔をしていても良いと思いますし、それに3巻まで付き合ってくれる読者の方であれば多少原作から乖離していても受け容れてくれると思います」みたいな話をこちらからしたと記憶している。そういった経緯を経て執筆に移った結果、作中のフレちゃん(両親が仏軍エリート部隊の凄腕傭兵)の残虐度が2000000%増しになったのでちょっとびっくりした。あの表情の印象にグイッと引っ張られてしまった。猛スピードで本文を打鍵しつつ「じゃーね、バイバイ。天国に行けるといいね」という意図しない台詞(流れとしては自然なもの)がスルッと出力されたときはさすがに「こういうこともあるのか……」となった。面白いこともあるもんすね。また、ガチッと嵌まった星崎先生の3巻装丁の印象にも「これはガチの殺し合いをやらんとあかんやつや」と引っ張られました。

▼とりわけアーニャちゃんの二挺拳銃戦闘術や武器のカスタムなど、ガンアクション監修を担当頂いたHK15さん発のアイディアがなければ3巻のアーニャちゃんvsフレちゃんのタイマンバトル(ガチンコの殺し合い、血が超出る)は絶対に書けなかったと思う。感謝してもしきれない。

▼ゲスト原稿を依頼した山本情次先生へのオファーの内容としては「財前時子様を本物のサディストとして書いてください、ぼくは血が見たいんです」みたいな感じで、梗概とキャラクター一覧、背景となる設定等を書き殴った数千字の企画書(その場の勢いのまま数十分で一気に書いた)を送りつけて速攻話が決まった感じでした。「極星(ポーラスター)」という暗号名と食人設定、部下のグッドルッキング超人傭兵団の暗号名(すべて豚の可食部位の仏語男性名詞読み)を考案したのは山本情次先生っす。まさか、服部○應先生があのにこやかな顔で生きた人間を調理し、繊細なエスコフィエの古典料理として時子様に振る舞う様が見られるとは思いませんでした。感無量です。

▼設定先出しですが、「再開発」で一ノ瀬志希の「農園」をメチャメチャに破壊したのは時子様です。4巻ではこの両者にバチバチぶつかり合って頂きます。2巻3巻の比ではない程の血が流れるぞ〜〜〜〜〜〜。

乃木坂46伊藤万理華さんがグループを卒業した。彼女に対しては諸々万感の思いめいたものがあるので、また改めて書きます。やっぱりぼくは表現すること/されることに対して思い入れやこだわりを持っているアイドルさんが好きなんだと思います。顔とか、容姿とか、それ以前に。

▼1月はDJイベント2本に出演した。うち1本はゲストDJとしてオファーを頂いた。ぼくみたいな同人屋の片手間に趣味程度でDJをやっている人間に対し、まことにありがたいことだと思う。

▼主催陣の1人として関わった『HOUSE TRAIN』(恵比寿BATICA・1/12(金))はDJ YOGURTさんとokadadaさんをゲストDJにお招きした。イベントを打つに至る経緯については、以前Twitterに詳細を書いたのでそちらを参照して欲しい。

▼ぼくらとしては相当気合いの入ったブッキングだった。当たり前である。たかだか普段会社員をやっているにすぎない主催陣三人がなけなしの月給を出し合い、BATICAを一晩借り、あのDJ YOGURTさんとokadadaさんをゲストDJにお招きするのである。どれくらい大変なことをしたかというと、喩えるならば、小説同人誌の表紙イラストのために市川春子先生へオファーを出し、本文ゲストとして平山夢明先生へオファーを出すくらいのことをした、と捉えて貰って構わない。これは大袈裟な喩えでも何でも無い。

▼ここには詳細を書けないが、ゲストDJの候補として他にも数多くの名前が挙がった。どれもこれも実現性度外視で、とにかくこのDJとこのDJの組み合わせが見たい、という名前を出し合ったのだが、その組み合わせの中において最も観たい組み合わせであり、それがゆえに最も実現性が低いと見積もっていたのがDJ YOGURTさんとokadadaさんの組み合わせだった。「いや〜〜〜、いうてもDJ YOGURTさんとokadadaさんすよ? ぼくら程度でそんな大それたイベント打っていいんすかね……?」という具合である。が、実現した。そんでもって凄いパーティーになった。とりわけ、深ーく深ーく潜っていくようなDJ YOGURTさんのセットからokadadaさんが作る明け方のディープな流れに至る過程が大変に素晴らしく、朝が来ることが心の底から惜しいパーティーなどいつ以来だろうか……という気分にさせられた。普段クラブに行かない友人が2Fのフロアで身体を揺らしながら「いや〜〜〜、身体が勝手に動くんすわ……」みたいなことを興奮気味に口走っていたのがやけに印象的だった。なぜ巨人は巨人たりえるのか? というのを身を以て知った一夜だったと思う。また来年にでもやりたい。パーティーが終わってしまったのであれば、もう1回パーティーを開けばいいのである。

▼朝5時45分。2Fのフロアにあって、誰も帰らない客を前にokadadaさんが最後の1曲としてかけたシンディ・ローパーの『Time After Time』が本当に忘れがたい。終わって欲しくないパーティーの終わりにかかる曲として、あれ以上のものは中々存在しないと思う。


Cyndi Lauper - Time After Time

▼1月分のDJミックスを録った。誰に聴かれなくても欠かさず毎月録り続けていくことが重要だと思い、月次でアップロードを続けているのだが、今月分の選曲において念頭に置いたのは、やはり『HOUSE TRAIN』(恵比寿BATICA・1/12(金))で観た景色そのものであり、また年初の青山OathにおいてKatsuya Sanoさんが披露していた明け方4時から7時にかけてのDJである。

▼Oathの窓からオレンジ色の朝陽が差し込んだ瞬間、Katsuya SanoさんがChunk-A-Nova (Red Dog Mix)をかけた瞬間は忘れがたい。アシッドハウス〜ディープハウス〜テクノをゆらゆらと行ったり来たりしつつ、夜が明けた瞬間のChunk-A-Nova (Red Dog Mix)である。暗いトンネルを抜け、ふとした瞬間にパッと光が差す瞬間というか、そういえばぼくがいちばん好きなDJってこういうDJだったなという原初の気持ちを思い出した。実に貴重な瞬間だったように思う。最後かけたChunk-A-Nova (Red Dog Mix)は、あのときのそんな気持ちを込めたつもり。 

▼TrackList

01. Soledrifter - Rhythm in My Soul [Inner City Records]

02. Dirty Culture - After the After [Affin]

03. Lone - From a Past Life [R&S Records]

04. Lone - Saturday Night (DJ-Kicks) [K7 Records]

05. Marquis Hawkes - Feel The Music [Houndstooth]

06. Soulphiction - When Radio Was Boss [Pampa Records]

07. Halo Varga - Future! [Hooj Choons]

08. Marquis Hawkes - The Phoenix Part 2 [Aus Music]

09. Leon Vynehall - Blush [Running Back]

10. Earth People - Dance (Kerri Chandler Centro Fly - Jerome Sydenham Special Edit) [Ibadan Records]

11. Joss Moog - Yo [Robsoul Recordings]

12. TAXI C.A.B. - Chunk-A-Nova (Red Dog Mix) [House Jam Records]

13. Wayne Snow - Nothing Wrong [Tartelet Records]

 ▼昨年12月、昔聴いていたジャズの音源を使い、だらっとミックスを2時間録った。手前味噌だが結構気に入っているので聴いて貰えると非常に嬉しい(全部聴かなくて良いので、1:15:00〜のスタン・ゲッツとケニー・バロンの演奏だけでも聴いて欲しい、物凄いので)。

▼自宅にあるPioneer社製CDJ-2000nexus × 2台を使ってビル・エヴァンスやらオーネット・コールマンやら、果てはアルバート・アイラーの音源をかけるのは中々新鮮な体験だった。いや、普通2000nexus使ってアルバート・アイラー聴かないでしょ。

▼その昔、FM Yokohamaの土曜深夜帯(AM3-5時)にジャズのみをひたすら2時間垂れ流すだけのフィラー番組があった。ジャズクロニクルとかいう番組名だったと記憶している。ミックスを録りつつ、ぼんやりと意識していたのはあの番組の空気感。

 ▼思えばぼくのミックスに対するフェチの大半は、あの辺の深夜のフィラー番組と、それからNRK MusicもしくはZ RecordsのミックスCD、その両者によって涵養されてきたように思う。とりわけフィラー番組から受けた影響は大きい。夜明け前の静寂の中、ラジオから淡々と音楽だけが洩れ聞こえてくる、あの朝までの時間が大好きだった。いまも好きっす。

冬コミ(C93)に受かりました

 

 2017年12月31日(日)コミックマーケット93開催三日目、東館"の"ブロック-35aのスペースを頂きました。同人屋七年目の冬、コミケに関してはもう年イチ冬のみでの参加が通例みたいな感じになっておりますが(電脳軍事探偵あきつ丸の三巻を出したC88以降、夏コミには一回も足を運んでおりません、なぜかというと夏のコミケは過酷すぎるからです)、昨年ご好評を頂いた一巻に引き続き今冬も『Ordinary346』シリーズの続刊を出します。今年の春先、神戸の即売会にて某商業成人漫画家氏に「アフガン帰還兵の父親にシステマを仕込まれたアナスタシアが出てきて十把一絡げに屈強な男たちを虐殺し、強い女たちとバチバチやりあった結果、闘争に巻き込まれた屈強な男たちがまたしてもダース単位で死んでいくエモめの話やってくださいよ(大意)」と言われましたので、やろうと思います。ご期待ください(やれなかったらごめんなさい)。

 ちなみに『Ordinary346』一巻の二刷分が五冊だか八冊だか九冊だか、メロンブックス様の通販サイトにおいてめちゃくちゃ中途半端な数在庫がございますため、買って頂けると後顧の憂いを断って三刷分を印刷所に発注できますので、何というかよろしくお願いします。

  おそらくはそこそこ巻数の出るシリーズになるかと思いますので、気長にお付き合いを頂ければ幸いです。一巻ド頭に収録された最終話に至るまでのシリーズ全体の流れみたいなものは日々うにゃにゃ考えてはメモをし、メモを口に含みえづいて吐き出しては破棄することでメモの内容を忘却するなどを繰り返しておりまして、個人的にいちばん書きたい話は四巻収録になります。このペースで新刊を発行していて、その四巻がいつ出るのかは見通しが全く立たずわかりません。あと、シリーズを途中で投げて他のジャンルに行きっぱなしになるみたいなことは絶対にしません。やっぱりここまできたら地べたを這い泥水を啜ってでも完結させたいですしね。だから「最近のあいつ、同じ飛鳥でも二宮飛鳥って言う回数より齋藤飛鳥って言う回数の方が遙かに多くなったな。二次元アイドルなんかより、三次元アイドル(乃木坂46欅坂46)の方が好きってわけか……あいつは二次元のことを裏切ったビチクソ野郎だ!!!」なんて思わないでください。新幹線N700系プラレールがアナルに勢いよく突き刺さったかのごとき勢いで涙が出てしまいます。だからやめてください。ちなみにこれは私見ですが、二次元アイドルの二次創作をやる人間は一度で良いから取材と思って実物の三次元アイドルの握手会に行ってみてください。きっと世界が広がります。

 あとそれから、消火器先生に頂いたファンアート(二次創作のファンアートって何だ? ファンアートのファンアートみたいなものなのではないか?)があまりに嬉しくてローカルの「秘宝館」というフォルダ内において大切に保存させて頂き、閲覧する度に泣いているという次第であります。消火器先生、ありがとうございました。