冬コミ(C93)に受かりました

 

 2017年12月31日(日)コミックマーケット93開催三日目、東館"の"ブロック-35aのスペースを頂きました。同人屋七年目の冬、コミケに関してはもう年イチ冬のみでの参加が通例みたいな感じになっておりますが(電脳軍事探偵あきつ丸の三巻を出したC88以降、夏コミには一回も足を運んでおりません、なぜかというと夏のコミケは過酷すぎるからです)、昨年ご好評を頂いた一巻に引き続き今冬も『Ordinary346』シリーズの続刊を出します。今年の春先、神戸の即売会にて某商業成人漫画家氏に「アフガン帰還兵の父親にシステマを仕込まれたアナスタシアが出てきて十把一絡げに屈強な男たちを虐殺し、強い女たちとバチバチやりあった結果、闘争に巻き込まれた屈強な男たちがまたしてもダース単位で死んでいくエモめの話やってくださいよ(大意)」と言われましたので、やろうと思います。ご期待ください(やれなかったらごめんなさい)。

 ちなみに『Ordinary346』一巻の二刷分が五冊だか八冊だか九冊だか、メロンブックス様の通販サイトにおいてめちゃくちゃ中途半端な数在庫がございますため、買って頂けると後顧の憂いを断って三刷分を印刷所に発注できますので、何というかよろしくお願いします。

  おそらくはそこそこ巻数の出るシリーズになるかと思いますので、気長にお付き合いを頂ければ幸いです。一巻ド頭に収録された最終話に至るまでのシリーズ全体の流れみたいなものは日々うにゃにゃ考えてはメモをし、メモを口に含みえづいて吐き出しては破棄することでメモの内容を忘却するなどを繰り返しておりまして、個人的にいちばん書きたい話は四巻収録になります。このペースで新刊を発行していて、その四巻がいつ出るのかは見通しが全く立たずわかりません。あと、シリーズを途中で投げて他のジャンルに行きっぱなしになるみたいなことは絶対にしません。やっぱりここまできたら地べたを這い泥水を啜ってでも完結させたいですしね。だから「最近のあいつ、同じ飛鳥でも二宮飛鳥って言う回数より齋藤飛鳥って言う回数の方が遙かに多くなったな。二次元アイドルなんかより、三次元アイドル(乃木坂46欅坂46)の方が好きってわけか……あいつは二次元のことを裏切ったビチクソ野郎だ!!!」なんて思わないでください。新幹線N700系プラレールがアナルに勢いよく突き刺さったかのごとき勢いで涙が出てしまいます。だからやめてください。ちなみにこれは私見ですが、二次元アイドルの二次創作をやる人間は一度で良いから取材と思って実物の三次元アイドルの握手会に行ってみてください。きっと世界が広がります。

 あとそれから、消火器先生に頂いたファンアート(二次創作のファンアートって何だ? ファンアートのファンアートみたいなものなのではないか?)があまりに嬉しくてローカルの「秘宝館」というフォルダ内において大切に保存させて頂き、閲覧する度に泣いているという次第であります。消火器先生、ありがとうございました。

 

【レポ】欅坂46の全国握手会in名古屋に行ってきた話(中編)

 

 アイドルは生きた人間だ。何を当たり前のことを、と思う向きもあるかもしれないが、しかしアイドルを推すということはすなわち自分の人生と直接の関わりを持たない人間を推す行為に他ならないのであるからして、アイドルは生きた人間であるという認識はアイドルを推す上で殊更重要な観点になってくるのではないかとぼくは思う。生きた人間には然るべき敬意を払う必要があるからだ。

 

 当たり前の話にすぎないが、彼女たちアイドルにはそれぞれの人生があり、家族があり、友人がある。喜ぶときだってあれば、悲しむときだってあるだろう。そういった意味でいえば、彼女たちの在り方は、人間であるという一点を以てぼくらの在り方と全く同じものであるといえる。アイドルはアニメキャラでもなければ歌って喋る玩具でもなければ、ましてや株券でもない。ぼくらと同じく人権を享有し、物理的身体を伴う人間に他ならないのだから、アイドルを推す行為はすなわち生きた人間を推す行為に相違ないとぼくは思う。

 

 よくよく考えてみれば、はじめに握手会へ行こうと思ったのは、彼女たちが人間であるという事実を確かめに行きたいというのが動機だった。血が通った人間であるアイドルへ直に触れ、直に話しかけることで、ぼくはそうした自分の考えが間違っていないことを確かめたかったのかもしれないと、握手会が終わったいまになってはじめて思う。結論からいえば、平手さんも、上村さんも、渡辺梨加さんも、その他のメンバーの方々も、当たり前かもしれないがみな等しくぼくらと同じ血の通った人間だった。そんな事実の確認を通じてぼくは思った。彼女たちアイドルは人間だ。だからぼくは、敬意を持って彼女たちアイドルを推そう、と。

 

 さておき、名古屋全握のことである。前回のレポにおいて、ぼくは午前中のミニライブを観覧したときの様子を書き綴った。この記事はその続きなので、できればここから先の内容は下記の記事を読んだあとで目を通して頂きたい。

 

 

 正午である。ミニライブの会場から規制退場に従いぞろぞろと出口に向かうおたくたちの群れに押し流され、ぼくは人々がひしめくエントランスホールに佇んでいた。ツイッターのタイムラインを確認すると、会場には数名の知人がいることが見て取れた。事前に名古屋全握へ行くと明言していた知人たちだ。朝待機列で見かけた暴力ちゃんのミニライブ観覧席はEブロックだったらしい。つまり最後列のブロックだ。初全握のぼくがAブロックだったのは相当の幸運に違いなく、次の5thシングルの全握では今度はぼくがEブロックに当たることもあり得るわけであって、まぁこればっかりは運だよなぁ、という気持ちになり、次回からはいつ後列ブロックになっても良いよう、必ずオペラグラスを準備して全握ミニライブに臨もうと決意した次第である。

 

 握手会の開始は十三時三〇分からであり、開場は十二時四十五分である。軽く昼食を摂ったぼくは、隣の展示場で行われているリフォームフェアに訪れた家族連れや老夫婦が、半ばギョッとした面持ちでアイドルの握手会に訪れたおたくたちの群れを見遣るさま(めちゃめちゃ良い)を眺めつつ、朝と同じように握手会待機列が形成された駐車場へ出て、降雨に耐えるおたくたちの行列と一体になった。つまり朝苦労して入ったミニライブ会場の出口から、ぼくは自ら進んで外へと出た。これが大きな過ちであったことに気づくのはそれより数時間後のことであるが、このときのぼくは握手会参加の段取りに関してあまりに無知であり、その不手際を責めるのはあまりに酷だ。だから責めないで欲しい。

 

 さて、またしても立ちんぼのまま待機が続く。雨はまだ降り続いており、列は朝のときと同じく遅々として進まない。十三時三〇分。握手会開始の時間だ。列の進みが徐々に早まり出すと同時に、雨の勢いも緩やかに弱まっていった。会場は午前中のミニライブと同じく第二展示棟を使うとのこと。入口ではセキュリティチェックの係員が入場者の手荷物を確認し、金属探知機で凶器となり得る物品の有無を調べている。またペットボトルに入っている飲料を所持していた場合は、その場で入場者が中身をひと口だけ飲んでみせることが要求される。要は、過酸化水素とアセトンの混合物質に硫酸を加えた爆薬をペットボトル飲料に偽装させるTATP爆弾などを警戒したテロリズム対策である。

 

 ぼくはクラブによく行くいわゆるパリピ、もうちょっとオーセンティックな言い方であればクラバーなのでこの手のセキュリティチェックには慣れている。その日のぼくはageHaの屈強なセキュリティ並みの厳しさを覚悟していた。ゆえに手荷物の中身は可能な限りシンプルにし、ポケットのなかにある財布も携帯も鍵もライターも煙草もすべて取り出した状態で待機していた。が、鞄の中身をチラ見され、金属探知機で腹と背中をそれぞれ〇・五秒程度なでられただけで「はいOKでーす」の声とともに握手会会場のなかへ入ることを許可された。しつこいボディチェック程度は覚悟していたので肩透かしもいいところである。

 

 パリピもしくはクラバーである自分から見れば甘々のセキュリティチェックではあったものの、ないよりはましなのは確かであり、セキュリティチェックをやると事前告示しておくことでの危険物の持ち込みを抑止する効果もあるのだろうと思ったものの、本気のテロリズムに対する抑止に対して、この程度のチェックはほぼ効果を発揮しないだろうという良くない思考がぼんやりと浮かんだ(こうした握手会のセキュリティチェックがなぜいまのようになったのか、という歴史は重々承知しているつもりだ)。

 

 まぁ、セキュリティチェックを厳しくしたところで入場待機列を捌く速度が低下する問題が別途発生するのは目に見えているので、あくまで両者の塩梅を考慮した上でのチェック体制なのだろうな、というところでぼくの思考は停止した。なぜならばそのときのぼくはアイドルと握手すべく即座に行動を起こさなければならず、余計な思考に構っている暇などなかったからだ。

 

 握手会の待機列はぜんぶで十五あった。第一レーンから第十五レーンまで、欅坂46けやき坂46のアイドルがたち二人一組になって次々と押し寄せるファンの列を捌いていくというシステムだ。各レーンに対するアイドルたちの振り分けは下記の通りとなる。

 

【全15レーン】

●第1レーン:長濱ねる・東村芽依

●第2レーン:渡邉理佐高本彩

●第3レーン:平手友梨奈・佐々木久美

●第4レーン:守屋茜佐々木美玲

●第5レーン:志田愛佳・柿崎芽実

●第6レーン:石森虹花・加藤史帆

●第7レーン:長沢菜々香・米谷奈々未

●第8レーン:小林由依・尾関梨香

●第9レーン:織田奈那・小池美波

●第10レーン:鈴本美愉齋藤冬優花

●第11レーン:佐藤詩織・齊藤京子

●第12レーン:上村莉菜・潮紗理菜

●第13レーン:土生瑞穂・原田葵

●第14レーン:菅井友香・井口眞緒

●第15レーン:渡辺梨加・高瀬愛奈

 

今泉佑唯は欠席となります。

※影山優佳は学業の為欠席となります。

 

 

 

 ぼくはミニライブで握手券を一枚使ったため、残る握手券は三枚であり、従って一レーンにつき消費する握手券が一枚であることから手持ちの握手券で並ぶことのできるレーンは合計三つまでだ。手持ちの握手券を全て使い切って並ぶのに疲れたらそのまま帰るもよし。はたまた別のレーンにも行きたい、もしくは同じレーンをもう何周かしたいと思えば会場物販の初回限定版シングルを買い、その中身に同梱されている握手券を引っ剥がして使えば良い。会場内で握手券の買い足しが出来るのだからまことに良い商売である。大人に気持ちよく金を使わせるコンテンツほど良いものはないとぼくは思う。

 

 初手に並ぶレーンははじめから決めていた。第三レーン。平手友梨奈さんと佐々木久美さんのレーンである。無論、かの平手友梨奈さんとの謁見を果たすのが目的である。ぼくは第三レーンの待機列へ向かった。そのときはじめて、ぼくは自分自身が極度に緊張していることに思い至った。平手友梨奈さんとぼくが握手? マジで? いいのか、そんなことが許されてしまって……。わからん……なんも……。

 

 第三レーン最後尾へ到着する。すさまじい人、人、人である。やはり世間における欅坂46の代名詞・平手友梨奈さんともなればここまでの人気なのかとぼくははじめて実感する。ざっと眺めただけでも一〇〇人、一五〇人、いやそれ以上の人間が並んでいるように見えた。だが、詳しい知人によれば関東開催の全握はこの比ではないらしい。名古屋と京都(つまり地方)の全握は平手友梨奈さんであっても二〇〜三〇分程度並べば握手できる、とのことであって、金のある大人のおたくは関東開催ではなく名古屋もしくは京都での開催を狙うとのことだ。地方開催は人が少ないから、というのがその理由なので、転勤で大阪に住まうぼくはこの国における東京一極集中の構図に想いを馳せる。アイドルは世の中ににおける何かしらの在り方を映す鏡だとぼくは思うが、アイドルはこの国の在り方さえも映すというのか。そんな想いに囚われているうちに、列はみるみるうちに動いている。そのペースは異常なほど早い。そうこうしているうちにあっという間にぼくの並ぶ位置は平手友梨奈さんがいるであろうブースの入口へと近づいていった。

 

 全握の平手友梨奈さんについて、とりわけ「剥がし」が早いということは知っていた。知らない人向けに説明すると、「剥がし」とはアイドルと握手しているおたくを引っ剥がして握手待ち列の回転を促す係員のことである。制限時間を過ぎると「お時間です」と言っておたくの肩を叩いたり、ときには両肩をガシッと掴んで文字通り物理的に引き剥がしたりするのがその役割だ。まるで受刑者を面会者から引き剥がす刑務官のような存在である。アイドルのいるフェンスの向こうの世界が娑婆で、ぼくらがいるこちら側の世界が塀の向こうの世界なのだとしたら、一体ぼくらは何の罪で収監されているのだろう。そんなよくわからないことを考えていると、平手友梨奈さんとの握手待ち列の進み具合が急加速した。

 

 何が何だかわからないうちに平手友梨奈さんがいるブースの入口が急速に接近してくる。握手は衝立に仕切られたブースの中で行われる。ブース入口には空港の手荷物検査場じみた手荷物の預け先があり、手ぶらになったおたくは握手券を渡した係員に手のひらのチェックを受け、ブースのなかへと入場する。ブース内ではアイドル二名がフェンスの向こう側から愛想を振りまき、おたくと手を握り合い、一秒前後のコミュニケーションを交わし合い、そしておたくはといえば「剥がし」の係員に促されるようにしてブースの出口へ押し出され、預けた手荷物を受け取ってレーンから出る。

 

 そのときのぼくは異常な光景を目の当たりにしていた。台から吐き出されるパチンコ玉のごとき勢いで、平手友梨奈さんのいるブースの出口から夥しい量の人間が次から次へと出てくるからだ。レーン出口へ向かう見知らぬおたくが、「早ぇ!」と半笑いで叫んでいた。「剥がし」があまりに早いという意味だろう。早い早いとは聞いていたが、ブース出口から吐き出されてくる人間の勢いとペースは常軌を逸して余りある。いくら何でも回転が早すぎはしないか? とぼくは思った。これは絶対に、何かがある。

 

 声が出ないのだそうだ。誰が、というと平手友梨奈さんがである。その場でインターネットを駆使し、急いで理由を調べたためわかった事実だが、要するにツイッターのツイート検索欄に「平手」とだけ打ってそれらしい記事や言及を探ったにすぎない。その日の平手友梨奈さんは喉を痛め、声が出せないとのことだった。レーン入口にその旨が書かれた張り紙があったそうだが、ぼくの記憶にはなかった。平手友梨奈さんとの握手を前に極度の緊張状態にあったため、その張り紙が視界に入らなかったのだろうと思う。

 

 喉を痛め、声が出なくても、それでも握手会を休まないのは何かすごいな、とぼくは打ち震えた。得体の知れない何か凄まじい執念のようなものを感じ、あのときのぼくは一瞬だけ恐怖したのを覚えている。それが平手友梨奈さんの「休まない」という行動についてのものなのか、そうしたコンディションの彼女を「休ませない」運営に対するものなのか、いまになってもわからない。まぁ、誰がそう決めてどういう仕組みで本決定に至ったのか、外部からまるでわからないため考えたところで詮のない話ではあるが、少なくともあのときのぼくは一瞬だけ恐怖した。何かぼくの知らない、得体の知れないルールに基づいてこの全握という場は動いている。少なくともそれだけは直観した。そしてその直観は、あの日全握を通じて覚えたひとつの感想へと結実してゆくのだが、その話はまた最後の方で。

 

 手荷物を預け、係員に握手券を一枚渡す。手のひらのチェックを受けて、衝立に仕切られたブース内へと足を踏み入れる。マジで? あの平手友梨奈さんと握手すんの? え……マジで……? ぼくは緊張を通り越して動揺していた。心臓がバクバクと大きな音を立てているのがわかる。ぼくは平手友梨奈さんのことを心の底からリスペクトしていた。アイドルとして好き、というのとは少し異なる文脈だ。そう、ぼくは物書きの端くれとして平手友梨奈さんのことを本当に尊敬していたのだ。もはや崇拝していたといってもいい。パフォーマンスにおける「表現者」としての平手友梨奈さんの凄まじさを知っているからこそ、これから彼女と握手するという行為に対するわけのわからなさみたいなものが先に立った。まるで意味がわからない。ぼくなんかが? 握手を? 本当に?

 

 そしてブース内でいよいよ握手である。眼前一メートル以内の距離に、けやき坂46の佐々木久美さんが立っていた。目線が男性のぼくとそれほどあまり変わらない。背の高い綺麗な方だな、と思った。

 

 そうだった、全握は二人で一レーンだから、平手友梨奈さんだけでなく、ひらがなけやきの佐々木久美さんも第三レーンのブースのなかに立っているのだ、ということは無論事前にわかっていたことであって、佐々木久美さんにかける言葉ははじめから決めていた。道中の新幹線で直近の佐々木久美さんのブログを読みまくり、話すネタを探していたためだ。裏を返せば、わざわざネタを探さなければならないほど佐々木久美さんのことを知らなかったということであり、ひどく情けない。漢字欅ばかりじゃなくて、ひらがなけやきの方も今後に備えてちゃんと真摯にやっていこうな。心の中で、ぼくはそう堅く決意したものだった。

 

 佐々木久美さんがぼくの方に視線を向けた。握手をするためである。ぼくは彼女に手を握られた。佐々木久美さんの瞳がじっとぼくの目を見据えている。そうだ、声をかけなければならない。

「全国ツアーとタップダンス頑張ってくださいね!」

「うん!!! 頑張るね!!!」

 すぐ目の前から発せられる佐々木久美さんの声音は、想像を遙かに上回るエネルギッシュさだった。おそらくは第三レーンにやってきたおたくたちの大半から言われたであろうベタもベタも大ベタの一言に対し、溢れんばかりの笑顔を浮かべ、触れた手からも伝わってくるようなエネルギーで「うん!!! 頑張るね!!!」と元気に答える彼女は何者なのか。きっと、アイドルに選ばれるような人はその裡に内包しているエネルギーの総量が人よりも多いに違いない。そんなことを思っていると、おたくの流れに押し出されるようにしてぼくは平手友梨奈さんの眼前へ放り出される。手を軽く握られた。あの平手友梨奈さんに。

 

 思ったよりも背丈小さいな。わかってはいたけれど。あと、目、めっちゃ大きい。佇まいが綺麗だ。そこに立っているだけで美しいってすごいな。そんなことを思った。血の通った手は当然のごとく温かい。当たり前だ。彼女だってぼくらと同じ人間なのだ。

「あ、あの、平手さんの表現が……」

 ぼくは意を決して伝えたかった想いをぶちまける。と、そこで、

「お時間です」

 剥がしの係員に肩を掴まれる。平手友梨奈さんに声をかけた瞬間から剥がされるまで、体感にして一秒未満の出来事だった。

「……すごく好きです! 応援してます!」

 残りの台詞を急ぎ早口でまくし立てながら、ぼくはブースからまたしても押し出されるように吐き出された。手荷物を受取りレーンから出る。そして思った。

 

 何だったんだ? 今のは、と。

 

 間近で見たはずの平手友梨奈さんの顔貌がぼくの記憶のなかでぼやけていた。彼女と握手をした実感はない。軽く手を握られて、その手が握りしめられる前に剥がしの声がかかる。よってぼくはちゃんと彼女に自分の想いを伝えられた実感はなかったし、正直にいえば、握手をしたどころか彼女の目の前をスッと通過した程度の実感しかない。一秒未満の剥がし(体感時間)で、かつ彼女自身が自分からコミュニケーションを取れないコンディションにある以上、まぁそんなもんだろう、くらいにぼくは思った。ちゃんとしたコミュニケーションを取りたいなら個握しかないのだろうなぁ。

 

 ぼくはレーンを移動することにした。おたくでひしめく会場を歩く途上、記憶のなかでぼやけた平手友梨奈さんの顔貌を何度もなぞり直し、失敗し、ひいては佐々木久美さんの顔貌もはっきりとしなかった。はじめて見た生の平手友梨奈さんに関しては「思ったよりも背小さいな。わかってはいたけれど。あと、目、大きい。佇まいが綺麗」といった抽象的な印象しかなく、はじめて見た生の佐々木久美さんに関しては「背の高い綺麗な方だな。あとすごいエネルギッシュ」といった、やはり抽象的な印象しか残っていなかった。

 

 理由はすぐにわかった。あまりに握手待ちの回転が早いため、おたくはほぼ歩きながらパッ、パッとアイドル二人と素早く握手をしなければならないためだ。どういうことかというと、一瞬で剥がされる全握のシステムにおいては目の前のアイドルの顔貌を視認するのに動体視力を使う。つまり充分な時間立ち止まった状態でアイドルの顔を見る余裕がない。そういうことである。

 

 まずいなぁ、と思った。ぼくは動く「画」を記憶するのがとても苦手である。具体的にいうと、観た映画のワンショットを脳内で描き直すことができない。従って観たばかりの映画を視覚的に語ることができず、繰り返し観ないと「画」の感想を言うことができない。そういうわけだから、素早く動きながらアイドルの顔貌を視認し、記憶することはぼくにとってきわめて難しい作業となる。

 

 大丈夫なのか。そんなんでやれんのか。そんな一抹の不安を抱きながら、ぼくは真っ直ぐに第十二レーンへと向かった。上村莉菜さんと潮紗理菜さんのレーンである。二番目に並ぶのはここだと最初から決めていた。なぜかというと上村莉菜さんがとても素敵だからである。説明おわり。おぜりなは平和であり、愛であり、祈りである。従っておぜりなの構成要素たる上村莉菜さんは最高である。あるレーンに並ぶにあたって、果たしてそれ以上の理由が必要だろうか?

 

 ぼくは第十二レーンの最後尾に辿り着いた。平手友梨奈さんのいた第三レーンに比べればさすがに並んでいる人が少ない。列の進みは早くないが、まぁ待ち時間は概ね一〇分程度といったところだろう。と、そこでぼくには周りを見られる程度の心の余裕が生まれていた。徐々に場に慣れてきたということだ。

 

 さて、レーンの待機列に並んでいるおたくだが、男女とりまぜて若い人が多い。朝の待機列でもそうだった。高校生以下と見受けられる子がそれなりにいる。立ちんぼになって並びながら、開いた古文の参考書に赤色の半透明の下敷きを当てている受験生とおぼしき男の子を見かけたときには思わず頬が緩んだ。きっと真面目な子なのだろう。それでも彼は受験勉強の合間に握手会に赴くほどに欅ちゃんのことが好きなのだ。そんな彼に愛される欅ちゃんの在り方を思い、とても敬虔な気持ちになった。

 

 レーンの待機列がじりじりと進んでゆく。不思議なほど緊張はなくなっていた。人生ではじめてのアイドルとの握手を経て、アイドルと握手するための心理的ハードルが下がった結果なのだろうと思った。何事も経験である。もう少し待てば上村莉菜さんとお話しができる。緊張はほとんどなく、むしろそのときのぼくは上村莉菜さんとお話しすることを楽しみにしていたほどだった。

 

 上村莉菜さんの好きなところを挙げればきりがない。千葉のブハブハにはじまりポンコツなところと他メンバーのブログから垣間見える優しいお人柄とか、運動音痴だけどパフォーマンスが一生懸命全力なところとか、年下のメンバーにババァ呼ばわりされしまいには志田愛佳さんに「ドタキャンリナババァ」呼ばわりされるところとか、あとライブのバックステージ映像とかで彼女が画面を横切ると「あっ! 美少女がいる!」的な感じになって大変脳に良い。と、まぁ当然アイドルは生きた人間なのでことほど左様に情報量が多い。

 

 そんなわけで、上村莉菜さんと握手およびお話しするにあたり、ぼくは喋ることを事前に決めておく必要があった。彼女を取り巻く情報のなかから、剥がされるまでの一秒前後の時間(想定)で伝達可能な「伝えたいこと」を探すのだ、と握手会前夜のぼくは考えたのだ。そして当日。既にネタは決まっていた。あとは実際に彼女の目の前で自分の伝えたいことを話すだけだ。

 

 係員に握手券を一枚渡してブースに入る。まずはじめ。潮紗理菜さんが目の前にいた。彼女と握手をし、ぼくは言った。

Zepp Nambaの公演と、あとタップダンス頑張ってください!」

 さっきのネタの使い回しである。最悪だ。今後はもっとひらがなけやきを頑張っていきたい。だがそんなワックなファンであるぼくに対し、潮紗理菜さんは輝くような笑顔でこう言ってみせたものだった。

「わ~!!! ありがと~!!! タップダンス頑張るね!!! タン、タン、タタン」

 その場で元気に足踏みをしながら潮紗理菜さんは「えへへー」と笑う。天使か。ぼくは一瞬で潮紗理菜さん(かわいい)のことが大好きになってしまった。

 

 そして、潮紗理菜さんに「ばいばい」と手を振られると、ぼくは上村莉菜さんの前に放り出された。ぼくは眼前にある上村莉菜さんの顔貌を直視する。小さい!!!!!! 身長一五二・五センチ、『ちびーず』の片割れであることは伊達ではない!!! そしてお顔の造形がめちゃめちゃ繊細だ!!! さすがアイドルになる方は繊細なつくりをされている……。そんなことを思いつつ、ぼくは上村莉菜さんと握手をした。そのときの様子は下記の通りだ。

 

 

 あまりに最高裁判所だ、助けてほしい、とぼくは思った。あまりにも体験として強烈すぎる。上村莉菜さんに手を振られ、レーンの出口をフラフラと歩きながら、ぼくは「大変な思いをしてしまった……」という感想ひとつを持て余し、あれ? そういえば剥がし緩かったな……上村莉菜さんとの最低限のコミュニケーションが成立していたぞ? ということにようやく気づいた。その理由はのちほど識者の知人により明らかにされることになる。

 

  ちなみに上村莉菜さんが描かれていたブログの棒人間とはこちらである。めっちゃ良い。漢字の成り立ちっぽくて味があり、良くないですか?

 

 

 それにしても、潮紗理菜さんはエンジェルだったし、上村莉菜さんは力の抜けた自然体な感じでやり取りをされており、またお人柄が垣間見える心のこもった素敵なご対応で非常によかった。これが、アイドルか……握手会にくる皆に対してあんな感じでひとつひとつ心を込めて丁寧に対応されているとしたら、もはやリスペクトの念しかありえない。ぼくはそう思い、それにしても上村莉菜さんは素敵だったな……と五億回ほど心のなかで繰り返し唱え、あとで物販に行き上村莉菜さんの推しタオルを買おうと思った。ライブなどに行くことがあれば、客席から高々と上村莉菜さんの推しタオルを掲げるのだ。欅坂46におけるぼくの推しメンが決まった瞬間である。

 

 そうした上村莉菜さんへの反応は自分でも意外だった。なぜなら、ぼくの推しメンはあくまで平手友梨奈さんだとぼく自身が思っていたからであって、上村莉菜さんはあくまで「素敵なお人だなー」と思っているメンバーのひとりにすぎないと思っていたからであった。ツイッターのアイドル用鍵アカウントのタイムラインでは、知人が「はい、ベレイちゃん(※ぼくのあだ名、ベリカ・ベリサ・ベレイというわけである。ベレイって誰だ?)上村さん落ちです」という旨のことをツイートしていた。そうか、これが「落ちる」というやつか。既に理解しかない。助けてくれ。救命阿!!!!!!

 

 まぁよくよく考えてみれば平手友梨奈さんはぼくにとって箱推し観点での推しに他ならず、彼女に対する強いリスペクトの念は、欅ちゃんのパフォーマンスをセンターとして引っ張る「表現者」としての彼女の在り方にある。アイドルをアイドルとして推すという観点から見れば、まぁアリといえばアリなのだろうが、もうちょっと違う観点から欅ちゃんの推しメンを決めたいなと思っていたのは事実だった。そこに上手いこと上村莉菜さんがピタリと嵌まった。何というか、そんな感じである。

 

 そして、ぼくの手元には握手券があと一枚だけ残されていた。時刻は十五時を少し回ったところだった。握手会終了は十八時である。入場してからは既に一時間ちかくが経過している。高速剥がし高回転レーンだったとはいえ、平手友梨奈さんのレーンに並んだ時間が長すぎた。さて、ここからどう動くか、と思考をグリグリと巡らせる。何だこれ。アイドルの握手会めっちゃ楽しいな……。ぼくの脳からはよくわからない類の汁がドバドバ分泌されはじめていた。瞬間、「キャバクラにハマる類の男の気持ちが刺激される可能性があるイベント内容であり、従ってキャバクラ気分できてる来場者もまぁまぁの割合でいるんだろうな、グロい……」というあまりにも最悪の感想が脳裡をよぎり、せっかく上村莉菜さんの素敵なお人柄に触れて暖かい気持ちになったというのにマジで最悪だと思い、死にたくなったし、実際死のうと思った。

 

 あまりにも長くなりすぎたので後編に続きます。

 

 

渡辺零 拝

【レポ】欅坂46の全国握手会in名古屋に行ってきた話(前編)

 

 アイドルの握手会に行こうと思った。これまでの人生、アイドルにハマったことなんてただの一度もなかったぼくが、あろうことかめちゃめちゃアイドルにハマったためだ。欅坂46に「転ぶ」のは一瞬だった。忘れもしない。二〇一七年二月二十五日。何の偶然か、AbemaTVで放映されたワンマンライブを見たぼくは、この2ヶ月半を経てすっかり欅坂46のおたくと化してしまったわけであって、そんなぼくが欅坂46の新譜を2枚(最低限)買えば参加できる全国握手会に参加しない道理などそもそもなかった。

 

 欅坂46の全国握手会。略して「全握」である。なお握手会には「全握」と「個握」が存在する。違いについては各自好きにググって欲しい。ぼくが行ったのは「全握」の方だ。会場は名古屋。ポートメッセなごやである。ぼくは関西在住なので本当は京都パルスプラザ開催の全握(京都全握)に行きたいところではあったのだが、あいにく京都全握の当日は早稲田の茶箱でDJをすることになっていたため、まぁ仕方ないといった具合で、5月の名古屋開催での参加と相成った。

 

 と、まぁそんなわけで欅坂46の4thシングル『不協和音』初回版に同梱されている握手券を合計4枚握りしめて、二〇一七年五月十三日、ぼくは名古屋の全国握手会へと向かったのである。

 

 朝八時半。吹きつける風雨に曝された金城埠頭は肌寒く、ぼくは薄着で握手会に来たことを少しばかり後悔した。ポートメッセなごや金城埠頭の尖端に位置するその大規模展示施設は、正式名称を名古屋市国際展示場という。総敷地面積約二十万平方メートル、総展示面積は展示棟三つを合わせて三万三九四六平方メートルを数える施設である。

 

 あおなみ線の終着駅からぞろぞろと歩くおたくっぽい人間どもの集団についてゆき、施設のエントランスホールに足を踏み入れると、閉ざされた会場からミニライブのリハの音が漏れ聞こえ、身体の奥底でテンションが高まった。そのまま係員の誘導に従い、ぼくはエントランスを突っ切り外へ出る。すると、レゴランド・ジャパンをすぐ隣に臨む駐車場にあって、傘を差した大量のおたくが葛折れ状の列になって並んでいた(余談だが、エスピオナージ馬鹿はレゴランドと聞くとSIS(MI6)を想起する。ロンドンはヴォクソールに屹立するかの本部ビルは、その形状から「レゴランド」と呼ばれ、馬鹿にされているためだ)。

 

 折からの雨足はさらに強くなる気配を見せ、そうした驟雨に直立不動で耐え続けるおたくたちの集団は、さながら八甲田山死の彷徨といった具合に思えてしかたなかった。彼、彼女らは皆アイドルに会わんとすべく、降りしきる雨風に必死で耐え続けているのだ。ぼくにはおたくたちの気持ちがよくわかった。きっとアイドルを好きになる前のぼくだったらその気持ちを理解することはできなかったであろう。

 

 そしてぼくはおたくたちの列と一体になった。おたくとの合一である。時刻は午前九時。午前中のプログラムは4thシングル『不協和音』収録曲六曲のミニライブである。開場は午前九時三〇分。ミニライブ開演は午前十一時きっかりであるが、入場列は遅々として進まなかった。雨は強くなる一方で、前日に手入れした純白のスニーカーが跳ねた泥で黒々と汚れていくのを悲しい気分で見下ろしていると、次第に列の動きが速くなってゆくのがわかった。そしてふと視線を上げ、レゴランド・ジャパンの傍を通る高架に視線を送ると、『最終警告です天皇陛下』の巨大極太ゴシック体を荷台に書きつけた播磨屋のトラックが三台連なって高速道路を驀進してゆく様子が見て取れた。なぜだかぼくは「ああ、これは吉兆に違いない」という無根拠な想いひとつを抱き、またおたくたちからなる巡礼者の列と一体になる。雨足が少し弱くなった。

 会場入口では、係員がおたくどもから握手券一枚をむしり取り、ミニライブ観覧券一枚と交換する業務を行っていた。大規模展示場であるホール内の観覧席はオールスタンディングであり、観覧場所はA~Eのブロックで区切られている。Aが最前列、Eが最後列だ。早く並んだからといってAブロックに当たるわけではもちろんなく、受け取る観覧券のブロックはランダムであり、従ってどのブロックに当たるかは運でしかない。

 

 ぼくが当たったのはA-3ブロックだった。つまり最前列である。人生初全握にして、引いたのは大当たりも大当たりといって差し支えない。競馬でいえば中穴の軸馬に二桁人気馬がひっついてきて馬連万馬券、くらいのラッキー感だ(ぼくの体感による感想なのできっと個人差はあるだろう)。ぼくは心のなかでそっと播磨屋のトラックに感謝を捧げた。

 

 はやる気持ちもそこそこに向かったのはA-3ブロックの区画ではなく、トイレだった。時刻は午前十時四十分。待機列に並び始めたのは午前九時だ。そう、一時間四十分にもおよぶ待機列での忍耐は、ぼくの尿意に著しい危機をもたらしていたのだ。そのときのぼくはといえばとにかくおしっこがしたかったし、そのときの尿意は閾値を超え、きわめてシリアスな領域へと達しつつあった。

 

 トイレの列は本当に遅々として進まない。ぼくは気が狂いそうになりながら、中高年男性の尿のキレの悪さについて想いを馳せ続けていた。アイドルのことなど一ミリも考えず、ミニライブスタート二十分前のぼくは中高年男性の排泄について考えていたのだ。いまから考えればどうかしているにも程があるが、尿意は人間から冷静な思考を奪って余りある。あまり責めないでほしい。

 

 まだまだ列は進まない。トイレ入り口まであと四メートルのところで、「みなさーん、盛り上がる準備はできてますかー!」的なアイドルのアナウンスが場内に響き渡り、おたくたちが一斉に沸いた。欅坂46のキャプテン・菅井友香様のお声だとぼくの脳は瞬時に断じ、尿意は一瞬だけ収まったかのように思えたが、思考の冷静な部分が「ミニライブ開演五分前の段階でトイレ待機列のこの位置ということは、おしっこをしていて開演に間に合わない可能性はおそらく六〇%といったところだろう。ことは運の領域に突入してきた。君は欅ちゃんの生パフォーマンスを観るのはこれが人生初であろう? おしっこのしたさのために開演の瞬間を見逃すつもりか? 体験の一回性が損なわれるぞ?」ともの凄い勢いでぼく自身を詰めはじめた。

 

 ここでぼくには二つ選択肢があった。ひとつはトイレ待機列に並び続け、A-3ブロックへの開演間際滑り込みを狙うこと。もうひとつはトイレを諦め今すぐA-3ブロックに向かうこと。前者の場合尿意の問題は解決されるが、開演の瞬間を見逃す可能性が高い。人生初の生欅ちゃんパフォーマンスの体験をおしっこのために損なうのはあまりに惜しい。また後者の場合尿意の問題は解決できないが、開演の瞬間は確実に観られる。

 

 さて、どうする、と二秒ほど黙考し、ぼくはトイレに並び続けることを選んだ。今日はツイていると思ったからだ。何より播磨屋のおかきトラックがついている。あれは吉兆に相違ない。おしっこしたさのあまり、あのときのぼくは狂っていたのかもしれなかった。

 

 結論からいえば、おしっこは間に合ったし、ちゃんと石けんで手を洗い、開演の瞬間にも間に合った。暗転しはじめた通路を何食わぬ顔で歩き、欅ちゃんのオーバーチュアが爆音で鳴り始めた頃にはA-3ブロックへ滑り込むことに成功した。排泄待機列に並んだ代償としてA-3ブロックの中では最後方だが、密集するおたくたちのはざまにあってブロック最後列にぽっかりと隙間が空いており、そこに運良く入り込めた。両手に持ったペンライトをちょこまかと振れる程度のスペースは確保できる。おまけに前方にそこまで背の高いおたくがおらず、間近のステージをそこそこ良好に視認できる。尿意にも勝ち、ミニライブにも勝ったとぼくは思った。憂国おかきトラック様々である。

 

 オーバーチュアが終わり、ステージが始まった。以下はステージ上において繰り広げられた欅ちゃんたちのパフォーマンスについての感想である。

 

●一曲目:不協和音

 欅ちゃんのパフォーマンスはきわめて苛烈だ。これは大げさな表現でも何でもない。あの日ステージにいた欅ちゃんは総計二〇の殺気からなるひとつの巨大な修羅そのものだったし、とりわけセンター平手友梨奈の在りようは、ヒトの形を成した激烈な殺気そのもの以外ではありえなかった。

 

 髪を振り乱し、眼前をきつく睨み据え、掴まれた腕を振り払い、陣形を成して行軍する。それもアイドルらしからぬ蟹股で。それらは確かにぼくがテレビやMVで観てきた欅ちゃんたちではあったけれど、最前のブロックから観ると全然印象が違った。画面を隔てていない分、彼女たちの殺気が観客に向けて直に刺さるからだ。

 

 ぼくは格闘技が好きだ。とりわけ会場での生観戦をぼくは好む。テレビで観るのとは全く違う感触があるためだ。考えてもみて欲しい。観客が居並ぶ大ホールにおいて、自分と同じ空間にいる人間同士がいきなり自分の眼前で殺気を向け合い、本気の殴り合いをおっぱじめるのだ。敢えて言いたい。格闘技の生観戦は、リングの上を中心とした、殺気の波及を楽しむ娯楽だ。ある空間で発生した苛烈な殺気は空間全体へに波及し、やがて観客である自分自身へ突き刺さる。ぼくはリングサイド席でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが鼻面を殴られたときの「べちゃっ(パキッ)」という音を聞いたことがある。打撃のインパクトで鼻骨がひずむ瞬間における小さな音。テレビの中継には乗りづらいごく小さな音だ。そんな小さな音からぼくが感じ取ったのは「(対戦相手のセルゲイ・ハリトーノフは)ノゲイラを殺す気で殴っている」ということだった。リング上から放たれる殺気の質量に、あのときのぼくは身震いひとつを覚えたものだった。

 

 この記事は下書きなしで書かれているため大いに話が逸れたが、人生において、躍動する人間が放つ殺気を浴びる機会はそうそうない。だがあの日のミニライブにはそうした機会が確かにあった。要するに、ぼくは格闘技の生観戦に等しい体験を欅ちゃんのパフォーマンスから得ていたのだ。それはもうテレビで観るのとは全然違う。殺気が直に突き刺さる。その凄まじさに打ち震え、何だかよくわからない感情になったのだった。

 

 あと不協和音の織田奈那さん超カッケェ!!!! 午後の握手会でご本人に伝えよ……という気持ちが生まれた。

 

●二曲目:微笑みが悲しい

 てち&ねる曲。一周年ライブに行った知人から「てちねるが絡み合う曲だよ」ということは聴いていたし、覚悟はしていたつもりだったが、実物を眼前にしたら記憶が飛んだ。なぜかというと想像の八億倍濃厚に絡み合っていたからだ。何か、こう、ステージの袖で二人が絡み合ったところあたりからの記憶がない。あと何か至近距離で向かい合って見つめ合いながらおでこをこっつんこさせてた記憶がうっすらとある。あまりにも美少女すぎる美少女が自分の眼前で絡み合い出すと人間の記憶って飛ぶものなのだなと思った。助けてくれ……。あと、てち&ねるに関する文脈は、まぁ何か興味ある人は各自勝手に調べること。

 

●三曲目:割れたスマホ

 MVがいかがわしい強火の曲。なのだが、実際にパフォーマンスを観ると「何かエロい……」よりも先に「かっこいい……」がくることがわかり、脳に良かった。これはぼくの持論なのだが、極度に美人な女性がエロい雰囲気でキメ顔してると異常にかっこよくなるというのがあって、割れたスマホはそれを地でいっていた。あと、やっぱりぺーちゃんのあの手つきは生で見るとあまりにアレがアレで感情がめちゃめちゃになり、脳が半分くらい溶けて知のうが劣化してしまった。助けてくれ……。

 あとコール入れるの楽しかった(あの曲でコールを入れるのが不作法なのかどうなのかわわからん……赤ちゃんなので……)。

 

●四曲目:僕たちは付き合ってる

 スッと齊藤京子さんに視線が向いて、そのまま齊藤京子さんのことを目で追っていたら目の前にいた強火のおたくが「きょんこぉぉぉぉぉ↑↑↑↑ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!! きょんこぉぉぉぉぉ↑↑↑↑ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」と馬鹿でかい声量で語尾を上げつつ一生叫び続けていたので何か気が散ってしまい殺害した。振り付けがめっちゃかわいい。

 

●五曲目:エキセントリック

 歌詞が絶妙にダサいんだかカッコイイんだかよくわからないけどとにかくトラックがカッコイイ、ぼくは大好き、みたいな曲で、MVが存在せず、かつ一周年ライブでのパフォーマンスを観た人間が「メンバーみんな靴脱いで頭上でブン回してた」だの「曲の途中で全員髪を解く」だの想像できるんだかできないんだかわからないことを一斉に言うのでもとより気になっていた曲だ。従ってこの日のミニライブの目的の大半はこの曲にあったといっても過言ではない。ライブじゃなきゃどんなパフォーマンスなのかわからないので。

 

 で、実際観てみたらまーーーーーーカッコイイこと。あっ!? あの歌詞をこうパフォーマンスに落とし込むんだ!? 説得力しかない!!!! みたいな驚きがあり、とっても良かった。あと、パフォーマンス観た人にしかわからない話として、全員シンメトリックな隊形になって諸手を挙げつつゆら~~~ゆら~~~って揺れるところがあり、何だか上手く言葉にできないものの、あそこでセンターに立っていた平手さんの表情(目)を見て、そのあまりの修羅っぷりに本気で背筋がゾゾッときてしまった。「本物」をこの目で見た気がする。ヒトとしての在り方として彼女に敵う気が一マイクロミリたりとも存在しない。当たり前の話だけれど。

 

 あと髪括ってしんなりシャキシャキ動く土生ちゃんがマーーーーーージで格好良かった。土生ちゃんに憧れる女子中学生にはやく戻りたい、と思った(殺さないでください)。

 

●六曲目:W-KEYAKIZAKAの詩

 欅ちゃんのアンセム。ただこの頃には係員が規制退場に備えてブロック後方の柵を圧縮しはじめたせいで(出口を塞ぐため)、おかげでぼくの周囲にはペンライトを振るスペースさえ一ミリも残されておらず、ひどく悲しい想いをした。

 

 ミニライブおわり。

 

 さて、ミニライブが終わり午後からはついに握手会だ。長くなりすぎたので続きは後編。

 

渡辺零 拝